1961年,日本,103分
監督:小津安二郎
脚本:小津安二郎、野田高梧
撮影:中井朝一
音楽:黛敏郎
出演:中村雁治郎、原節子、司葉子、新珠三千代、小林桂樹、加東大介、森繁久彌、浪花千栄子、団令子、杉村春子、笠置衆

代々の造り酒屋である小早川(こはやがわ)家では万兵衛が引退し、長女の婿である久夫が店を継いでいたが、合併話が持ち込まれていた。一方なくなった長男の嫁である秋子と末娘の紀子の縁談が進められようとしていたが、二人ともあまり乗り気ではなく、秋子に知り合いの磯村を紹介した万兵衛の義弟弥之助は気をもんでいた。そして元来が道楽者の万兵衛はこのところいそいそとどこかに出かけ、家族に心配をかけていた…

小津が松竹から離れて撮った3本目の作品。宝塚映画創立10周年作品で名だたるスターが出演者に名を連ねる豪華キャストとなっている。

どこの会社で撮ろうと、どんな役者を使おうと、小津は小津で、小津以外の何者でもない。それでもこれだけ芸達者な役者が集まるといろいろと個性が衝突する場面が出てくる。なかでも森繁久彌はひとり違った雰囲気を醸し出す。その個性の強さからか登場シーンは少なく、絡んでいく役者も加東大介だけになっている。加東大介は小津映画にもたびたび登場する役者で、見た目では灰汁が強そうだけれど、実は臨機応変に映画にぴたりとはまる演技を見せる。しかし個性も失わず、まさに名脇役という感じなのである。その加東大介が森繁の独特な雰囲気を和らげてなんとか映画にはめ込んでいるという感じはするが、小津世界にははまっていない。彼が登場するシーンには笑いが振りまかれるが、それは小津映画の笑いでは泣く、喜劇役者としての森繁の本領発揮という感じの笑いなのである。

その森繁とは対象的に新珠三千代は見事に小津映画にはまる。新珠三千代も森繁と同じく、小津作品にはこの映画一本しか出ていない。しかし、それを感じさせないほど小津世界にはまっている。司葉子や中村雁治郎もまたしかり。原節子と加東大介がいることで、小津映画ではあまりなじみのない役者たちがうまくその世界にはまって、従来と変わらぬ小津映画が生まれていくのだと感じた。

この作品は小津にとっては最後から2番目の作品である。最後の三作品は『秋日和』『小早川家の秋』『秋刀魚の味』と秋に絡んだものが続く。これはおそらく小津が自分自身の人生にも秋が訪れていることを感じていたからだろう。そして、作品の中でも「死」がひとつのテーマとして扱われ、「死に様」というか、あとに残されるものにどのような思いを残すのか、死んだ人間を残された人間がどのように思うのか、ということを問題にしているように思える。

わずか2シーンのために笠置衆をキャストに加えたのも、そのテーマの重みを伝えるためにどうしても必要だと考えたからかもしれない。小津は自身の年齢と人生をストレートに映画に投影する。若いころは人生に悩み、中年になると家族について考え、老齢(といってもなくなったときでまだ60歳だが)になると死について考えた。そのような一般的ともいえるテーマの立て方もまた小津が日本的なるものの象徴と考えられる要因であるのかもしれない。

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