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13-08-15

探偵はBARにいる

  • 「映画は細部に宿る」が、細部しか面白くないと…
札幌ススキノのバーに入り浸る「探偵」にコンドウキョウコと名乗る女から依頼が舞い込む。その依頼は弁護士にメッセージを届けるというもの。怪しみながらもその依頼を実行すると、探偵は何者かに拉致されてしまう。何とか逃げ出した探偵は相棒の高田に助けられるが…

北海道を舞台にした東直己の小説「ススキノ探偵」シリーズを映画化。主演は札幌出身の大泉洋、全編北海道ロケの地域映画。第3作まで制作が決定。

「神は細部に宿る」という言葉をもじって「映画は細部に宿る」と初めて言ったのが誰かは知らないが、実際に映画というのは細部に宿るものだ。「映画」というのは漠然とした概念で、私たちが見る映画というもの全体が「映画」なわけだが、それが、本当に「映画」であるのか、それとも映画のまがい物にすぎないのかを決めるのが細部なのだ。

と言ってもわけがわからないが、映画を観るというのは、基本的にはストーリーを追って、映像を見て、役者たちの言葉を聞いて、時にはBGMや背景音に耳をそばだてることだ。だから映画を観るときに主に意識しているのは細部ではなく漠然とした物語やキャラクターというものなわけだ。しかし、それは映画でなくてもテレビでも、小説でも、音楽でも、同じことだ。映画がそれらと違っている部分というのがこの「細部」なのだ。もちろん小説にも音楽にもテレビにも細部はある。しかし、映画には映画の映画らしい細部という物がある。それを発見した時に「あ、映画だな」と思うのだ。

そして、その「細部」というのがこの映画にはたびたび見つかる。小説の原作があるから、その原作との差異を生み出すために細部が必要だったというのもあるだろうが、とにかく、細部がある。例えば、印象的なシーンの一つ、主人公の探偵が雪原から顔を出すシーン、このシーンは物語の観点から言っても重要ではあるが、重要なのは「探偵が埋められた→助かった」という点だ。しかし、映画として重要なのは、埋められている雪原の広大さである。その映像1つで場所と季節と映画全体の印象を決めてしまうのだ。これは文字で説明されてもよくわからない、映画ならではの細部なのだ。

そんな細部があちこちに出てきて、「映画を観ている」という感じがしていいのだが、問題なのはそれだけということだ。ストーリーも探偵もののわりにはスリルがないし、主役を演じた大泉洋も今ひとつしっくり来ない。アクションシーンはいいが、それもまた映画ならではの細部といってしまえる部分だ。だからなんだか展開がまどろっこしく感じ、2時間という時間が長く感じられる。

2作目、3作目とこなれてきたらもう少しスピード感が出て面白くなるのかもしれない。同じ場所、同じ登場人物でパターン化されることで、細部が形式美となり、ひとつの世界が完成されるのかもしれない。シリーズ物は一作目が爆発的に面白いものもあれば、この作品のように今ひとつピンと来ないものもある。しかし、続いていくシリーズに共通するのはそこに一つの「世界」があるということだ。その意味ではこの作品は場所を限定し、キャラクター(特に松田龍平がいい)をしっかりと作っているので、シリーズとして続いていく要素はしっかりとある。実際に2作目が公開され、3作目も制作が決まっているという。

最近、日本映画にはテレビ絡みではないシリーズ物というのがなかなかない。そんな中でこの作品は映画的なシリーズになる可能性を秘めているのかもしれない。

探偵はBARにいる

  • 2011年,日本,125分

カテゴリ: 2010年代, DVD, 日本

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