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14-09-26

物語る私たち

  • 物語ることで自分を省みる「ドキュメンタリー」の傑作

 サラ・ポーリーの母ダイアンは、元舞台女優でキャスティング・ディレクターをしていた。サラがまだ子供の頃に亡くなった母について話を聞くべく、サラは父親のマイケル、兄マーク、姉ジョアンナ、異父姉のスージー、異父兄のジョンに話を聞く。そこで浮かび上がってきたのは自由奔放で、周囲を明るくする母の姿だったが、友人にも話を聞いていくとそこには秘密めいた一面もあった。サラはその秘密を解きほぐしていく…
 サラ・ポーリーが自分の家族の歴史に迫った「ドキュメンタリー」。ドラマのような展開の中で、「事実」と「物語る」いうことの本質が突き詰められていく。

物語る私たち

© 2012 National Film Board of Canada

 この映画には言いたいことがたくさんある。まず言いたいのは、なるべく予備知識をいれないで見たほうがいいということだ。そのほうがたくさんの謎解きと驚きを得ることができ、映画に没頭できる。なので、このレビューにもそのような興を削ぐようなことは書かない。

 次に言いたいのは「この映画は『ドキュメンタリー』の傑作である」ということだ。サラ・ポーリーはこれまでも優れた作品を撮ってきたし、その作品は単なるエンターテインメントではなく、フィクションの中に重要な真実を包み込み、それを物語という形で、私たちに投げかけてきた。この作品はその延長にあり、ドラマティックな物語であるが、これまでにもまして「真実」を追求した作品だということだ。これは彼女にとっての「ドキュメンタリー」に他ならない。

 それでも「ドキュメンタリー」と「」をつけたのは、これがいわゆるドキュメンタリー=記録映画ではないという意味でだ。まず言えるのは、この映画の一部は再現映像が使われているということだ。いわゆるドキュメンタリーでは、「記録」ということを重視するために、再現映像を使う場合には「これは再現映像です」というような説明が入る。そうでないと観客が「記録」と誤認するかもしれないからだ。しかし、この映画ではそのような断り書きは入らず、何が記録で、何が再現映像なのか観ただけでは判然としない。「それではどれが真実なのかわからないではないか」ということになるが、だからこそこの映画は面白いのだし、そのような手法によってこそ、サラ・ポーリーは真実を物語ることができるのだ。

 この映画はタイトルの通り「物語る」ことと「私たち」に焦点を当てた映画だ。サラの母ダイアンに関係のある人たち(私たち)がそれぞれの視点からダイアンとの歴史を物語る。「物語る」とは何かということ、姉のジョアンナが冒頭で示してくれる。彼女は「私たちみたいな“stupid”な家族のことを映画にして何が面白いの」というよううなことを言う。この時点で彼女の中にあるのは事実の集積であり、まだ物語になっていないから、そこに意味や「面白さ」を見出すことができないのだ。しかし、物語る段階になると、彼女も事実を編集し、そこに意味を見出そうとすることになる。それが物語るということなのだから。

 そして、サラは、同じことをこの映画全体で行う。たくさんの証言を編集し、それを材料に物語を編み出して行くのだ。その際に彼女は過去を再現する必要があり、再現映像を使うことになった。しかし、その映像は非常にリアルで過去の記録映像と見分けがつかないようなクオリティで作られた。そこからも彼女がこの物語にどのような意味を見出そうとしていたのかをうかがい知ることができる。

 そして、この物語は中盤以降、意外な展開を見せる。謎が観客に投げかけられ、観客は与えられた材料からその謎の答えになるような物語を編み出そうとするのだ。その謎とは「何が真実なのだろう」ということだ。そのてその「何が真実なのだろう」という疑問こそがサラがこの物語に見出した意味でもあるように思える。

 映画の終盤で父マイケルが「お前が好きな様に編集したらそれは事実とは違う」というようなことを言う。それはその通りだ。これは事実ではなく物語なのだから。しかし、だからといってこの言葉に意味が無いわけではない。マイケルはサラに「自分の都合のいいように編集した物語の意味」を問い直せとも言っているのだ。

 物語るという行為はたくさんの事実を一つあるいは複数の意味に収斂させることで私たちを居心地よくさせる。しかし、同時に捨て去られる事実もかならずある。そこに都合の悪い事実を隠しているのではないか、真実だとわかっているのに目を向けたくないから目を背けているのではないか、物語る私たちはそのように自分を顧みなければならない、そうしなければ、物語りはそれを語る語り手自身にとっても真実とは成り得ないからだ。そうなれば、聞き手にとってももちろんそうだ。

 それは、ドキュメンタリーにも言える。「自分の都合のいい事実だけを編集した物語になっていないか」そのような自省がドキュメンタリーにも必要なのだ。それを怠らず、しかし素晴らしい物語に仕上げている、そのような意味で、この映画は「ドキュメンタリーの傑作」なのだ。

© 2012 National Film Board of Canada

© 2012 National Film Board of Canada

カテゴリ: 2010年代, アメリカ大陸, カナダ, ドキュメンタリー, 劇場

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