お茶漬の味
2003/1/2
1952年,日本,115分
- 監督
- 小津安二郎
- 脚本
- 野田高梧
- 小津安二郎
- 撮影
- 厚田雄春
- 音楽
- 斎藤一郎
- 出演
- 佐分利信
- 木暮実千代
- 鶴田浩二
- 淡島千景
- 津島恵子
- 三宅邦子
- 笠智衆
東亜興行に勤める佐竹茂吉は妻の妙子といまひとつうまくいっていない。妙子は友人の雨宮アヤと夫に内緒で修善寺に行こうと計画し、それに姪の節子まで巻き込む。一方茂吉は保証人として面倒を見ている岡田と飲みにいったりしている。そんな茂吉が見合いを逃げ出してきた節子と岡田と遊びにいってしまったことから夫婦の仲はさらにこじれ…
小津が夫婦をテーマとして描いた作品。小津作品にはそれほどなじみのない役者たちが主役を占め、新鮮な感じがある。映画も落ち着いてはいるが小津にしてはドラマティックな展開。
夫婦の話としてはいいお話で、今となってはこんな夫婦は考えられないけれど、人間の物語というか、古きよき日本人の心のあり方見たいなものがじわりとにじみ出てきていい。これをストレートに学ぶということはないにしろ、古きに親しみて新しきを学ぶという感じにはいい。
この映画を見ると、小津の世界というのが同時代の日本映画の中でもいかに異質なものだったかがわかる。小津映画の常連はその世界にぴたりとはまり違和感がないので、その世界の異質さが伝わってこないけれど、この映画のように小津映画にあまり登場していない人が出てくるとその異質さが伝わってくる。なれもあるかもしれないけれど、小津の世界になじめる役者となじめない役者がいるというようなきがする。
この映画でいえば、佐分利信はまったく違和感なく小津映画に入り込む。三宅邦子(姪)も常連といっていいだけにまったく違和感はない。ただ木暮実千代はなんだか違う世界の人という気がしてくる。佐分利信や三宅邦子とは設定からして違う感じだというのもあるけれど、映画の中で同じサイドにいるといえる淡島千景なんかと比べても違和感がある。
小津映画の女性たちは(やはり原節子が代表になるけれど)独特のしゃべり方や節回しやセリフがあって(たとえば「ねぇ~」というセリフ)、木暮実千代はどうもそれがしっくりとこないわけ。そこになんだか違和感があって、その木暮実千代の浮いた感じは映画の最後まで続いてしまってそのあたりがこの映画のいまいちなところとなってしまった感がある。
小津のスタイルというのは撮り方だったり、カット割りだったりして、厚田雄春のローアングルなんてのがよく言われるけれど、それはそれとして小津映画が本当に小津映画らしくなるのは、小津の世界の住人となりうる役者が映画の中に現れたときだと思う。笠智衆なんかは立ってるだけでそこに小津映画の世界が出現する。そういう役者が集まって小津の世界を作る。小津映画が本当に小津映画になるのはスタッフとキャストがそろってのことなのでしょう。