死刑執行人もまた死す
2003/1/27
Hangman Also Die
1943年,アメリカ,135分
- 監督
- フリッツ・ラング
- 脚本
- ベルトルト・ブレヒト
- フリッツ・ラング
- ジョン・ウェクスリー
- 撮影
- ジェームズ・ウォン・ハウ
- 音楽
- ハンス・アイスラー
- 出演
- ブライアン・ドンレヴィ
- ウォルター・ブレナン
- アンナ・リー
- デニス・オキーフ
ナチス占領下のプラハ、買い物中のマーシャは何者からか逃げる怪しいをとこを目にする。追ってきたゲシュタポにうそをつき、男を救うマーシャ。その男は“死刑執行人”の異名を取りプラハ市民から恐れられていた総督ハイドリッヒを暗殺した男だった。安宿にも投宿を断られ、途方にくれた男は偽名を使ってマーシャの家を訪れる。
ナチから逃れてアメリカにやってきたフリッツ・ラングとベルトルト・ブレヒトが手がけた反ナチ映画。反戦映画というよりはコミュニズムに基づく抵抗映画といったほうがいい内容ではあるが、サスペンスとして十分面白いところがフリッツ・ラングらしい。
戦争中にアメリカでとられた反ナチ映画といえば、チャップリンの『独裁者』、ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』、そしてこの『死刑執行人もまた死す』である。前2者がコメディという形でナチスを皮肉り、あざけったのに対して、この作品はサスペンスという形をとって真正面からの抵抗をうたっている。これはブレヒト(とウェクスリー)のコミュニズム思想が前面に押し出されたからで、登場する市民たちはのヴォトニー教授に代表されるように不撓不屈の意思を持った英雄的な市民ばかりである。市民は正義のために命を投げ出す、ナチは薄汚れた暴君、そして裏切り者。このような色分けがしっかりとなされていて、これが揺らぐことはない。そして市民とはすなわち労働者であり、裏切り者とはブルジョワである。そしてブルジョワはナチとともに贅沢にふけり労働者を搾取する。そのようなわかりやすい構図がまったく隠されることなく現れる。
ひとつのプロパガンダとしてはこの描き方でもいいと思うが、時代を超えた本当の名作となりうるかということになると、少し難しくなるかもしれない。最初にあげた3本の前2者は、この作品に比べるともう少し人間の描き方に深みがある。特に『生きるべきか死ぬべきか』はみながみな不撓不屈の英雄ではありえず、誰しもが弱みを抱え、それでも何か重要なもののために奮闘する。そのような描かれ方をしているところがすばらしい。
そのような思想性というか人間の描写の仕方ではこの映画は少々物足りないが、サスペンスとしては前2者を上回る。結末に向けてどんどん転がっていくサスペンスフルな内容はさすがにサスペンスの名手フリッツ・ラングであり、エンターテインメントとして見れば十分すぎるほどの名作である。中でも効いているのはマーシャの婚約者ヤンの存在、ナチ対プラハ市民の対決の中でヤンがどのような役回りを果たしていくのか、他の人の役回りがしっかりと決まっている中で、このヤンの動きがキーポイントになっている。にもかかわらずあまり画面には登場してこない。このように脇役の存在によってサスペンスを引き立てるというのは非常にうまい手法だと感心する。
終盤の結末に至るまでの展開もとても面白い。そして最後に出る文字は「NOT THE END」。ナチがあのまま黙っているわけもなく、事件自体をプロパガンダに使うだろうと思うので、結末も自分たちに都合のいいように考えすぎという気もするけれど、戦争事態の結末をまだ知らない戦争中のアメリカの観客たちにメッセージを与えるには十分だろう。