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ドニー・ダーコ

2003/2/13
Donnie Darko
2001年,アメリカ,113分

監督
リチャード・ケリー
原作
グレアム・グリーン
脚本
リチャード・ケリー
撮影
スティーヴン・B・ポスター
音楽
マイケル・アンドリュース
出演
ジェイク・ギレンホール
ジェナ・マローン
メアリー・マクドナルド
ホームズ・オズボーン
ドリュー・バリモア
パトリック・スウェイジ
ノア・ワイリー
キャサリン・ロス
ジェームズ・デュヴァル
preview
 ある朝山道で目を覚ました高校生のドニー・ダーコ。ドニーはどうも夢遊病らしく、夜中に家を抜け出し思わぬところで目を覚ます。ある夜、自分を呼ぶ声に誘われたドニーは家の外で銀色のウサギに「世界の終末まで28日と6時間42分12秒」と告げられる。その夜、ドニーの部屋に正体不明の飛行機のエンジンが落下し、ドニーの家はめちゃくちゃに。ドニーは翌朝ゴルフ場で目を覚まし、何も知らずに家族の元に戻った…
 これがデビュー作となるリチャード・ケリー監督が80年代を舞台にして描くファンタジー的青春・サスペンス・SFムービー。『メメント』や『ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリーインチ』とともに2001年サンダンス映画祭に出品され話題を呼んだ。
review
 この映画はかなりすごいです。まず引っかかるのは物語で、どこまでが現実でどこまでが幻覚なのか判別できないという設定。それをただの夢物語とはせずに、現実の物語、身近に存在する物語として観客に見せる力量。このあたりがかなりすごい。この映画の設定では、ドニーは分裂症気味の症状で、それで幻覚が見えたるするということになっているわけで、そう考えるとすべてが幻覚であるという解釈も出来るわけですが、そう簡単ではないのはいうまでもありません。基本的には最後まで見ても、何が現実で何が幻覚か、何が起こったことで、何が起こらなかったことなのか、それはわからないわけです。分裂症による幻覚とタイムトラベル、この二つが合わさって複層的な日現実世界を作り出し、それが映画に隠された現実を覆っている。それがこの映画の構造であるわけです。
 私はちょうどこの間フィリップ・K・ディックの『火星のタイム・スリップ』というSF小説を読んでいたのですが、これも分裂病患者の話で、分裂症患者と時間の関係を描いたものでした。結論としてはこの小説では分裂病患者の中には未来を予知できる者もいるという話なんですが、未来の予知というのは観念的なタイムトラベルなわけで、そのような意味でこの映画との関係はかなり深い。というか、この映画(あるいは原作)に『火星のタイム・スリップ』が影響を与えている可能性は高いと思えるわけです。
 となると、ここからは私の勝手な推測ということになりますが、
<ちょっとネタばれ気味かもしれないので、これからぜひ映画を見たいという人は映画を見たあとに読んでね。>
 ドニーは分裂病によって未来の予知が可能になっていて、それによって未来を予知し、ドニーとしてはその未来を回避しようとしたということなのではないかと思います。
<もどります>

 物語のほうは、いろいろと解釈が出来るということで、それはそれでかなり面白いのですが、この映画がもうひとつすごいのは、アメリカの暗部というか、アメリカの怖さのようなものを映画にドンと放り込んでいる。
 そもそも映画の最初からデュカキス(1988年の大統領選で共和党の父ブッシュの対立候補として激しい選挙戦を展開した民主党の候補者。ギリシャ系で初の非WASP大統領誕生かと騒がれたが、結局大敗した)が登場し、「私はゲリラを支援しない」と公約を述べる。これを見て思うのは、「ここでデュカキスが大統領になっていたら、今のテロ合戦は起こっていなかったのかもしれない」ということだ。「80年代の間にアメリカがテロ支援をやめていたら、クルド人の迫害もなかったかもしれないし、東ティモールでの虐殺も起こっていなかったかもしれない」と考えるのはあまりに楽観的に過ぎるかもしれないが、息子ブッシュが正義の鉄槌を振るう今よりは平和な世界が実現していたかもしれないという思いは募る。
 2001年のサンダンス映画祭に出品された映画が製作されたのはおそらく2000年、世界中のほとんどの人が翌年ニューヨークでテロが起こるとは考えていなかったとき、そのときにこのような映画を作っていることだけでも驚きだ。
 そして映画の中に登場する自己啓発セミナーのカルトじみた男。これはよくある題材ではあるけれど、それと絡んで描かれる小さな子供によるダンスチームには何か薄気味悪さを感じざるを得ない。しっかりと化粧した金髪の高校生にしては小柄な子供たち。その一糸乱れぬ踊りに喝采する人たちを見るにつけ、そこに何かアメリカの怖さというものを感じてしまう。
 その怖さや薄気味の悪さを指摘するために映画に取り込まれたドリュー・バリモアとノア・ワイリー、それとジョリーン・バーディ(シェリータ)がそれをほのめかすだけでそれ以上何もしない(出来ない)のには歯がゆさを感じる。とくにシェリータはもっと生かせそうなキャラクターだった気がするので、今ひとついる意味のわからないグラッチェンよりはシェリータに大きな役割を与えたほうがよかったんじゃないかという気はする。
 まあ、しかし、9.11以前であるということはそのような問題が明確になっていなかったということでもあるわけで、その段階でこれ以上に明確にアメリカの「怖さ」に反対を唱えろというのもこくな話なのかもしれない。

 エンターテインメントとしては、ちょっと暗すぎるという感じはしますが、いろいろと考えるにはいい作品。アメリカよりもヨーロッパで受けそうな作品です。ドリュー・バリモア製作総指揮だそうで、やはりドリュー・バリモアは只者ではなさそうだ… 
Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ2001年以降

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