逃走迷路
2003/2/21
Saboteur
1942年,アメリカ,109分
- 監督
- アルフレッド・ヒッチコック
- 脚本
- ピーター・ヴィアテル
- ジョーン・ハリソン
- ドロシー・パーカー
- 撮影
- ジョセフ・ヴァレンタイン
- 音楽
- チャールズ・プレヴィン
- フランク・スキナー
- 出演
- ロバート・カミングス
- プリシラ・レイン
- ノーマン・ロイド
- オットー・クルーガー
- アラン・バクスター
飛行機工場に勤めるバリーは親友のケンとともに食事に行く途中フライという男にぶつかってしまう。その挙動不審な男が落としたお金を返した直後、火事がおき、それを消すために駆けつけたケンは火に巻かれて死んでしまう。原因は消火器にガソリンが詰められていたとわかり、バリーはフライが消火器を渡したと証言したが、フライなる人物は見つからず、バリーが殺人の嫌疑を受けることに。バリーは着の身着のまま逃亡生活に身をおくことに…
アメリカにわたり、セルズニックと契約していたヒッチコックがユニバーサルに貸し出されてとった作品。第二次世界大戦の戦火の激しいときで、愛国的な色彩の強い作品。しかし、ラストシーンは必見。
無実の罪で負われる男が逃亡しながら真犯人を突き止めていくという展開は昨日の『三十九夜』ともおなじ、そしてそのパターンの代表作は『北北西』であることは先ずおさえておきます。
そんな中でこの映画はプロットがいまいちさえない。最初からの展開の仕方はいつもどおりで、なぜ罪を擦り付けられるのかという疑問を追っていくうちはいいのだけれど、その原因である破壊工作(このあたりはわかっていても映画の面白さにはあまり関係ないのでばらしてしまいますが)という理由がなんとも、戦争中という世情を反映しすぎている感じで、なぜイギリス人のヒッチコックがアメリカ人の愛国心をあおらなきゃいけないんだ? という疑問に駆られる。
この主人公がアメリカの自由と正義を盲目的に信じているところを今見ると、なんとも後ろ寒く、素直に映画に入り込むことはできない。破壊工作を行う人たちがある種のブルジョワであるというのもなんとも「大衆」と呼ばれる人たちを「自由のための戦争」に駆り立てようという思想操作であるように見えてならない。程度の差はあるけれど、ナチスの『ベルリン・オリンピック』と根本的な思想は変わらないような気さえしてしまう。そしてその映画による思想操作が、戦後「グローバリゼーション」という名で全世界的に行われてきたことを思うと、ヒッチコックを手放しで賞賛することもできなくなってしまう。果たしてヒッチコックであっても、アメリカとハリウッドの権力には逆らえなかったということなのか、それとも…、という感じ。
などなどと今見ると、いろいろ疑問もわいてきてしまうわけですが、戦時中の事情というのはそんなもの、体制に抵抗しなかったからといってその人を責めるわけには行きません。日本ではこの映画はもちろん公開されず、初めて公開されたのは1979年ということです。そりゃそうだ。
全体的なプロットはそういう疑問もあって、なんだかパリッとしませんが、ラストのシークエンスは秀逸。この緊迫感、このスリルがまさにヒッチコック。このラストシーンをはじめとして、この映画で優れているところは空間のとらえ方だと思います。頭のカットの網で囲まれた厨房の映し方から、工場の巨大な空間が巨大な扉が開くことによって見えてくるところ、そしてそれに続く火事のシーンと広大な空間とそれにかかわる人物を見事に捉え、すばらしい構図を生み出している。冒頭とラストのそのように空間を捉えたシーンがこの映画を救っているといえます。