情婦
2003/2/24
Witness for the Prosecution
1957年,アメリカ,117分
- 監督
- ビリー・ワイルダー
- 原作
- アガサ・クリスティ
- 脚本
- ビリー・ワイルダー
- ハリー・カーニッツ
- 撮影
- ラッセル・ハーラン
- 音楽
- ラティ・マルネック
- ラルフ・アーサー・ロバーツ
- 出演
- タイロン・パワー
- マレーネ・ディートリッヒ
- チャールズ・ロートン
- エルザ・ランチェスター
- トリン・サッチャー
心臓発作を起こして入院していた老弁護士のウィルフレッド卿は医者に刑事事件は心臓に悪いからやらないように言われ、本人もそのつもりでいた。しかし、退院したその日、旧知の弁護士メイヒューがある殺人事件の容疑者をのところに連れてくる。最初は友人の腕利き弁護士ブローガン・ムーアに事件を任せようと考えていたウィルフレッド卿だったが、容疑者の妻が現れ、なぞめいたことを言ったことから、自ら法廷に立つことに決める。
映画史上最高のどんでん返しのひとつといわれるミステリーの傑作。クリスティが自らの短編を戯曲化したものをワイルダーが映画化。展開の見事さは本当に映画によるミステリーの中では最高の傑作のひとつといっていいだろう。
どこで結果を言い当てられるのか、というのは映画や本でミステリーを楽しむときのひとつの大きな楽しみの一つである。この映画では本当にぎりぎりまで結果に確信を持つことは出来ない。そして、その確信した結果が訪れたあとに更なるどんでん返しが…
これ以上はかけません。書いてはいけません。ミステリーファンならばそんなルール違反はしてはいけません。ので、筋以外のことを書きましょう。
物語というものはクリスティの原作に多くを負っているわけです。もちろん、展開のテンポとか、どこを膨らませてどこを削るのかといったことはワイルダーの手腕なわけですが、根幹ではクリスティの原作の面白さがこの映画の物語としての面白さの大部分を支えているということになります。
しかし、物語に限らずにこの映画の面白さというときには、原作よりもむしろワイルダーらしさというのが大きいのではないかと思います。とくに、この緊迫感漂うミステリーの中にちりばめられるユーモアの数々。序盤に出てくる階段用のリフトのあたりとか、葉巻とマッチを巡るエピソードとかフフっと笑いがこぼれてしまいます。
このユーモアを生かすのは看護婦のプリムソル役を演じたエルザ・ランチェスターです。この人の存在がこの映画をピリリと締める。ラストにいたるまでこの人の映画的な存在感がこの映画を(クリスティの映画ではなく)ワイルダーの映画にしているといっていいでしょう。ディートリッヒよりもいいです。 ディートリッヒはといえば、役柄のせいもあるのでしょうが、今ひとつさえない。ワイルダーはただ1シーンのためにディートリッヒをキャスティングしたのではないでしょうか。その1シーンが何を意味するかはいえませんが…まず登場したときから、「ああ、ディートリッヒも歳をとるのね…」というなんだか悲しい感慨を覚えたのですが、実はこのときディートリッヒは57歳!
「それにしては若い!」と今は思います。でもやはり私たちの頭に植え付けられているディートリッヒ像とは違うわけで、女優の晩年というのはなかなか難しいものだとも思います。映画としてもタイロン・パワーとの歳の差が見えてしまうので、なかなか難しいところですね。
本当に書きたいのはこの映画の筋がいかに面白いか問いことなのですが、映画の最後でこの映画の筋を明かしてはいけないとワイルダーに言われてしまっているので、書くことは出来ません。とにかく、見てくださいとしかいえません、はい。