クレールの膝
2003/3/13
Le Genow de Claire
1970年,フランス,105分
- 監督
- エリック・ロメール
- 脚本
- エリック・ロメール
- 撮影
- ネストール・アルメンドロス
- 出演
- ジャン=クロード・ブリアリ
- オーロラ・コルシュ
- ベアトリス・ロマン
主人公は結婚を間近に控え、最後の夏を湖畔の別荘で過ごしていた。ある日ボートにのっているところをむかしの恋人で小説家のオーロラに呼び止められる。そして、そのオーロラが滞在している別荘の主の親子に紹介される。オーロラはその娘ローラが主人公に恋していると告げる…
ロメールの“6つの道徳的コント”の5作目にあたる作品。いつものようにと言ってしまえばそれまでだが、恋愛をベースに哲学的な味を織り込んだロメール得意の作風。アルメンドロスのキャメラが湖畔のバカンスの風景を美しく映す。
ものすごく映画的であるようで、映画的でないような気もする。映像を見ているとロメールの映画は非常に映画的で、しかもフランス映画的といわれるものにぴたりとはまる。この映画もその例に漏れないのだけれど、問題はいつもにまして会話が多い。映画の物語やメッセージのほとんどすべてを言葉によって説明する。言葉、言葉、言葉、映画の全編に渡って言葉があふれ出る。視覚的なものをも言葉によって、主に主人公とオーロラの会話によって説明する。それはオーロラが小説家であるゆえなのか。この“道徳的コント”シリーズが全体的にそうなんじゃないかという気がするが、それはこのシリーズの元をロメールが小説として書いていることにあるのかもしれない。まず言葉のイメージとして作り上げたものを映像にする。そのことによって映画も言葉に頼っていく。そのような傾向が垣間見えた。
このように言葉に頼る映画というのはまさに小説的で、映画的なものになりにくい。常に哲学的な会話を映画に盛りこむロメールの映画はどの映画でもそのような映画的ではない部分が入り込む。しかし、対象的に無言の場面も多い。言葉は多いけれど、その言葉のすべてには意味があり、映画のける役割をおっている。ただなんとなく発せられる言葉がないから、映像が語ろうとするところでは言葉の出番はなく、ただただ無言の映像が続く。その無言の場面は非常に映画的であり、ロメール的だ。無言の場面もロメール的だし、言葉の多い場面もロメール的、そのような不思議な印象をこの映画からは得られる。
それよりも何よりも印象的なのは映像で、言葉で説明されはするけれど、“クレールの膝”そのものに象徴されるように、映像が言葉を裏付けるということが重要だ。
さて、話のほうはというとどのへんが“道徳的”あるいは“教訓話”なのかはわからないが、それが逆に曖昧模糊としていて面白い。主人公の単なる思い込み、勝手な性格、などなど主人公がどうも変な人で、映画もゆるらゆるらとした変な感じ。反面教師というか、皮肉な主人公として登場しているならば、かなり面白い視点だし、示唆的でもある。映画の最後の最後、ローラとクレールのお母さんが主人公に「本当に結婚するなら」というような言葉を言ったのが、なかなか面白い。