暗殺者の家
2003/4/25
The Man Who Knew Too Much
1934年,イギリス,76分
- 監督
- アルフレッド・ヒッチコック
- 脚本
- エドウィン・グリーンウッド
- A・R・ローリン
- D・B・ウィンダム
- 撮影
- カート・クーラント
- 音楽
- アーサー・ベンジャンミン
- 出演
- レスリーバンクス
- エドナ・ベスト
- ピータ・ローレ
- ノヴァ・ピルブーム
スイスにバカンスに出かけたボブとその家族、友人のルイはスキーのジャンプ大会に、妻のジルはクレー射撃の大会に出場した。その夜、パーティーの席でジルと踊っていたルイが何者かに狙撃される。そのルイのメッセージでルイの部屋にあるブラシから秘密のメモを取り出したボブだったが、それを英国領事館に伝える前に娘を誘拐されてしまう…
56年にハリウッドで『知りすぎていた男』としてリメイクされるヒッチコックのイギリス時代の作品。映画としての完成度は劣るが、ヒッチコックらしさが素直に出ている作品。
映画の展開がかなり読みやすいのは、ヒッチコック慣れ、サスペンス慣れしてしまった観客には致し方ないことだろう。しかも自らリメイクした『知りすぎた男』のほうが有名となれば、この作品に謎解きの妙や展開のドキドキ感を求めるのはかなり苦しい。
そして、見せ場であるはずのアクションシーン、とくに銃撃の迫力のなさはなんともいえない。銃撃の音がして、撃たれたように人は倒れるけれど、血が出ることもあまりなく、派手に苦しむわけでもない。もちろん派手に苦しむのが迫真の演技というわけではなく、もしかしたらこの映画のような死に方のほうがリアルなのかもしれないが、やはりエンターテインメントとしては派手なほうが面白い。が、これもヒッチコック慣れ、ハリウッド慣れした観客のわがままと言うべきなのかもしれない。
この作品はハリウッドのヒッチコックとは明らかに違う。多分限られた予算の中で、火気の使用もままならず、エキストラも使えず(コンサートのシーンの観客は書割)、ロケもできず(クレー射撃の背景は書割)、撮りたい画が撮れずにヒッチコックも悩み、納得がいかずにリメイクしたのかもしれない。
しかし、そのような制限があるからこそ生まれる映画的瞬間というのもある。最もヒッチコックらしいのはカットの切り替わり、いわゆるジャンプカットといわれるものだが、カットの切り替わりで場面が飛んだとき、模型の汽車のアップとか意表をつく画で始まることが結構ある。人の意表をつく、人を驚かせるというのはヒッチコックの最も得意とすることろ。少ない予算でも編集で工夫すればこれくらいのことはできる。職人ヒッチコックは淡々とそのように映画を作る。そのカットの切り替わり方は予算が潤沢なハリウッドに移っても変わらず、ヒッチコックらしさとして定着した。そのようなヒッチコック的なものがこの映画には散見できる。
もう一つは、1コマの美しさ。映画の流れの中では気づかないような美しい構図がヒッチコックの映画にはある。じっと映画を見ていると、そのような1コマにはっと目を奪われる。それがスチルになっているとことさらにその美しさが目を引く。この映画ではルイが狙撃されたときに窓にできた弾痕をみんなが指差すそのシーンの1こま、そのシュールレアリズムにも見えるその構図に美しさを見る。これもヒッチコックらしさ。異様ようで美しい、まさにシュールでリアルな映像。
ということで、あまり見られないヒッチコックのイギリス時代の作品ですが、ヒッチコックはヒッチコック、見れば見るほどヒッチコック。