チャドルと生きる
2003/5/16
Dayereh
2000年,イラン,90分
- 監督
- ジャファル・パナヒ
- 脚本
- カンブジア・パルトヴィ
- 撮影
- ジャファル・パナヒ
- 音楽
- 出演
- フレシテ・ザドル・オルファイ
- マルヤム・パルウィン・アルマニ
- ナルゲス・マミザデー
- エルハム・サボクタニ
ある病院で女の子が産まれるが、その母親(子を産んだ母親の母親)はそれが女の子であることに失望し、病院を出ようとする。そのとき、病院の外には3人の女性がいて、警察の姿におびえていた。その3人の内の一人パリが警察に捕まってしまい、残りの2人アレズーとナルゲスは警察から逃げ、金の算段をし、どこかへ行こうとしていた…
『白い風船』のパナヒ監督が、イランの女性にスポットを当てて描いた作品。ベールに閉じこめられた女性たちの厳しい現実を描く。
冒頭、長い1カットで映画は始まる。女の子が産まれるシーンから、主人公の3人が登場するまでを1カットに納め、この映画のテーマというか焦点をくっきりと浮かび上がらせる。それはイランにおける女性の不遇、厳しい現実。男性に対して下の者としてみられている事実。そして同時に手持ちカメラによってドキュメンタリー的な要素を強調し、長まわしによって作家性を主張する。
そのように、ある種分かりやすい映画の始まり方をするにもかかわらず、この映画の3人の主人公の素性はなかなかしれない。それが最大の謎として映画につきまとい、彼女達はなぜ逃げ、どこへ向かっているのかという疑問が観客を映画に引っかける。
特にナルゲスの行動が理解しがたいような冗長さを持ち、何か理不尽というか、いらだたしさを感じさせるものであるだけに、そのある種のミステリー的な要素がなければ、映画を見続けることは困難だったかもしれない。しかし、映画を見続けることによってそのナルゲスの行動の理不尽さにこそこの映画の眼目があるように思えてくる。
ナルゲスがとる理不尽に見える行動こそがイランの女性達の現実なのであると。様々な制限をかけられ、自らの意志を持つことができず、自由という者の意味すら分からないような生活。正式な場ではチャドルをつけねばならず、それはまるでこの映画の冒頭で暗示されるように暗闇に住んでいるような者なのだろう。彼女たちのとる理不尽に見える行動というのは彼女たちに問題があるのではなく、むしろイランの社会がそうさせているということができるのではないか。
この映画が提起するのはそのような問題、イランの社会が女性を閉じこめているという問題点を指摘する。しかし、同時に西洋的な女性の解放を考えしているわけでもないのかもしれない。だからどうしろという積極的な意見表明ではなく、文字通りベールの裏に隠されて、見えない問題として片づけられてきた女性の問題を表面化することこそがこの映画の目的であって、それ以上ではない。その問題には宗教的なものがおおきくかかわり、決して単純に片づけられるものではないからだ。
映画全体としては結果的に少々冗長な感じになってしまいましたが、それはそれ。ハリウッドやヨーロッパの映画とは違う時間の流れ方なのだと思って納得しましょう。その冗長ささえクリアしてしまえば非常に面白い映画だと思います。