猫が行方不明
2003/6/12
Chacun Cherche son Chat
1996年,フランス,91分
- 監督
- セドリック・クラピッシュ
- 脚本
- セドリック・クラピッシュ
- 撮影
- ブノワ・ドゥローム
- 出演
- ギャランス・クラヴェル
- シヌディーヌ・スアレム
- オリヴィエ・ピー
- ルネ・ル・カルム
- ロマン・デュリス
パリに住むメイクアップ・アーティストのクロエはバカンスに出かけるため猫のグリグリを預かってくれる人を探していた。同居人も管理人にも断られ、いろいろな人の猫を預かってくれるという老婦人マダム・ルネに預けることにした。しかし、ヴァカンスから帰ってみると、グリグリが行方不明になったとマダム・ルネが言い出した。そのグリグリを探すうち、クロエは近所の老人やさまざまな人たちと知り合いになっていく。
おしゃれで不思議なフランス映画を撮るセドリック・クラピッシュが変わり行くパリを舞台に撮ったさりげないラブ・ストーリー。
私はこの映画がなぜか好きで、見るのは多分3回目か4回目だと思うンですが、何がそんなにすきなのかといわれるとなかなか難しい。見ているとなんとなく幸せな気持ちになって、夜中に見ていたりするとうつらうつらと居眠りしてしまったりしながらも、ついつい見てしまう。今回は何がそんなにすきなのかを分析しようと思ってみていたのですが、やはり結局わからないまま普通に見終わってしまいました。
しかし、いろいろと好きな場面や要素というのがあるということはわかりました。たとえば、クロエはバタバタと猫の預かり手を探して、ヴァカンスに出かけるわけですが、そのヴァカンスというのが1カットしかも数秒で終わってしまう。そして出かけるときとまったく同じサイズ・ショットで帰ってくるクロエを映し、変わっている点といえば、お土産らしき大きなつぼを持っていることくらい。その絶妙の間がきっと私のバイオリズムにあうのでしょう。
このシーンに限らず、この映画の「間」は非常に気持ちがいい。そして、その「間」を作り出している一つの要因が老婦人たちであるということもわかりました。古い建物がどんどん壊されていくパリ、そこに暮らす老婦人たち。それは古い建物が新しい建物に変わるということは、単純な景観だけの問題ではなくて、マダム・ルネも言うように、買い物をスーパーにしに行かなきゃならないというような生活感覚の変化であって、それは生活のスピードを変えてしまうものだということを意味している。グリグリのおかげで老婦人たちの暮らしに引き込まれてしまったクロエはその生活に流れる時間を感じ、その「間」を感じる。それは居心地のよさを感じさせると同時に、時にはいらだちも感じさせるもので、それがまさに古いパリへの郷愁と新しいパリの便利さ、年寄りと若者の生活の違い、などなどの関係とパラレルなものになっている。
その二つの要素の微妙なずれが「間」を生んで、それがなかなか気持ちがいいということなのだと思います。
ということですが、この映画の主題は恋愛。行方不明の「猫」は「恋」のメタファーであるわけです。誰もが恋を探している(この映画の原題は「みんなが猫を探している」という意味)ということがこの映画のすべてににじんでいる。クロエも同居人もクロエの同僚フローの母親も、クロエがメイクするモデルも、誰もが恋を探しているわけです。老婦人たちは恋を探してはいませんが、その代わりに猫を探している。クロエは恋を探しているけれど見つからないから(「から」といってしまうと単純化しすぎていると思いますが…)猫を飼う。猫を大切にしているうちは恋人なんて出来ないし、猫がいなくなってそれを探すことで同時に恋を探すこともできる、みたいな物語になっているのでした。
そのあたりのわかりやすさもこの映画のいいところ。フランス映画らしいフランス映画だけれど、フランス映画にありがちな難解さがない。そのあたりがいいのではないかと思います。