家族の気分
2003/6/19
Un Air de Famille
1996年,フランス,111分
- 監督
- セドリック・クラピッシュ
- 脚本
- アニエス・ジャウィ
- ジャン=ピエール・バクリ
- セドリック・クラピッシュ
- 撮影
- ブノワ・ドゥローム
- 音楽
- フィリップ・エデル
- 出演
- ジャン=ピエール・バクリ
- ジャン=ピエール・ダルッサン
- アニエス・ジャウィ
- カリーヌ・フロ
- クレール・モーリエ
- ウラディミール・ヨルダノフ
郊外で父親のカフェを継いでいるアンリの家族は毎週金曜日に集まり食事に行く習わしになっていた。ある金曜日、アンリの弟フィリップが会社の代表としてテレビに出演し、母親はそれに有頂天になっていた。妹もベティは早めにカフェに現れ、店で働くドニと恋仲である様子をうかがわせる。そして夜、母親とフィリップとその妻ヨランドがカフェにやってくるが、アンリの妻がなかなか帰ってこない…
ある家族の一夜の出来事をカフェという舞台からほとんどはなれずに描いた一幕劇。一夜の出来事だがそれなりにドラマティックで、はらはらもし、暖かくもあり、考えられもするなかなかの佳作。
家族を描いた映画は数多くある。アメリカ映画によく見られる家族の映画といえば、結局は家族愛という結論に行き着くものが多く、ヨーロッパもその傾向は強い。しかし、家族とは「愛してるよ」「ぼくもだよママ」ですむものではないということも確か。家族の関係は親密であるからこそ単純ではなく、一筋縄ではいかないものであるはずのもの。しかし一方でどこかに<愛>というべきものもあって、皆があるいは誰かが折れ合って関係は修復されるのではないかと期待してしまうそのようなものでもあると思います。
この映画はその微妙な家族の空気(まさに題名どおり)をうまく表現している。ちょっとしたことでそれぞれが我慢してきたことが噴出し、親しくあるからこそ起きる諍いが起こる。単純に言えばその諍いを描いた映画。家族であっても生まれて何十年もたてば異なった価値観を持ち、異なった人生を歩み、異なった意見を相手に持っている。しかしどこかで同じ価値観を共有し、一時期はともに人生を歩んできた。それが諍いに複雑さを生み、問題はこじれる。
この映画のいいところは、この家族の映画に家族の一員ではないドニとお嫁さんとして家族に入ってきて15年がたつヨランドという二人の存在が深みを与えているところ。ただの親子の物語ではそこに思い出とか甘えのようなものが介入し、結局何かロマンティックな物語に収斂してしまいそうなところを、もともとは他人であった人が家族の間に入ることで回避している。そして家族(親子)同士の諍いに夫婦の問題をかぶせ、問題を複雑にする。
最初は平穏だった家族の複雑な問題が徐々に浮き彫りになってきて、それがピークに達したあと、徐々に解きほぐされていく。それはどこか複雑なパズルが解かれていく解答を見るようで面白い。もちろん、こういう映画では単純に解答が出るわけはなく、絶妙な落としどころを探すことになるわけだが、その落としどころがまた絶妙で、やはり私はこのクラピッシュという監督とウマが合うらしいと思ってしまった。
難点をいうならば、時折挿入される回想シーンか、これはわかりやすさを生み、映画に入りやすくするという効果がある一方で、ちょっとくどく、過去に言及することで「甘い」映画になってしまう気もする。回想シーンを使わずに会話の端々の感情の発露によって家族の過去をうかがい知れるようにしてあれば、さらに映画は締まり、強い印象を持つようになったかもしれない。
それに、この回想シーンを入れることによって、ベティという主人公が一意的に決まってしまい、家族のそれぞれが主人公となりうる可能性を奪ってしまう。それは観客の映画に対するスタンスを限定することにもつながり、映画を味わう多様な可能性が減ぜられてしまうということになる。
とはいえ、確かに2度の回想シーンで映画はわかりやすくなり、難しい顔をせずにすっきりと見終わることができたのだから、ドラマとしては優秀なものということは確か。