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2003/6/24
Riens du Tout
1992年,フランス,95分

監督
セドリック・クラピッシュ
脚本
セドリック・クラピッシュ
ベロワイエ
撮影
ドミニク・コラン
音楽
ジェフ・コーエン
出演
ファブリス・ルキーニ
ジャン=ピエール・ダルッサン
ピエール=オリヴィエ・モルナ
ナタリー・リシャール
オリヴィエ・ブロシュ
preview
 パリの老舗デパート“グラン・ギャラリー”は経営が振るわず、1年後に業績を上げない限り店を売却し、従業員も全員クビという条件で新社長が任命された。新社長は従業員ここの意識を改革し、デパート全体に一体感を持たせることでこの危機を乗り越えようとするが、働く従業員たちも一筋縄ではいかない連中ばかりで…
 デパートという大きな空間で働く人々の姿を描いた群像劇。全体にユーモアがちりばめられているが、コメディというわけではなく、さらりと現実を切り取った淡々としたドラマ。セドリック・クラピッシュの長編デビュー作。
review
 

この映画には何か非常に生活じみたものがある。現実とは何か。現実とはそこら辺に転がっているもののようでいて、改めて「何か」と問われると、なんだかわからないものである。その現実がこの映画にはあるような気がする。それはさまざまな人を特定の主人公というものを設定せずに描くことによって、現実のさまざまな人の似姿をそこに描き出すことが出来たから。
 その登場人物たちは映画の中で自分たちを表現すると気に入っているようにちょっと変わった人たちである。典型的な人物のパターンにはまるものとして提示されているのではなく、どこかずれた人たちとして提示される。しかし、現実に存在する人々はみなどこか典型から外れ、どこか「変わっている」存在である。皆が自分を普通からずれていると考え、自分の周りの人を普通じゃないと思っていたりする。にもかかわらずどこかに「普通の人」という集団が存在しているように思っている。それが現実なのではないかと思う。
 映画というのは突出した人物を描く一方でその背景にそんな「普通の」人たちを配置して、主人公なり何なりのキャラクターを引き立たせるようなことをする。そしてそのことによって「普通の人」像を作り上げていくことにも寄与する。しかしそのようにして形作られた「普通の人」など現実には存在しない。われわれは本当はそのことをわかっているのだけれど、自分や自分の周りの人物を評価しようとするとき、なんとなくそんな「普通の人」を念頭においてしまう。
 この映画はそんなわれわれが作り上げた概念としての「普通」というものを決して使わず、本当に「普通な人」などいやしないということを描く。そこが非常に現実を感じさせるということだ。これはあくまで現実の再認識でしかないのだけれど、現実というのは常に手の届くところにあるだけに、それが何であるかということがわかりにくくなってしまうものだ。

 映画は見るものを日常から非日常の世界にいざなってくれるものだった。映画がそのような現実逃避の手段であるとする言説は黄金期のハリウッド映画が築き上げたものだ。もちろん映画にはそのような働きがあったし、そのようにして一時現実を忘れて夢の世界に入るということは映画のすばらしい働きであったし、いまもその力を失ってはいない。
 しかし、一つ疑問に思うのは果たしてわれわれは現実から一時でも逃避しなければならないほど現実とべったり付き合っているのだろうかということだ。たとえば「普通」という概念のように、概念やイメージというものが時代が下るにしたがってどんどん現実の中に入り込んできているのではないか? そして現実(あるいは、より正確に言うならば日常)がどんどん現実離れしてきているのではないだろうか?
 そうしてどんどん現実離れしていくとき、われわれに現実を忘れさせてくれるものだった映画はそのようなものでい続けることができるのか?
 この映画はそのように現実離れしていくわれわれを逆に現実に引き戻してくれる映画なのかもしれない。少なくともわれわれが現実からどんどん離れていっているということを思い出させてくれる映画ではある。

 この映画のカメラのどこかドキュメンタリーじみた動き方も現実というものを意識させる一つの要素である。ドキュメンタリー=現実であると私は思わないが、ドキュメンタリー的であるということは、それがどこかで現実とつながっているという印象を見るものに与えるものではあると思う。

Database参照
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国別・年順: フランス

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