トーク・トゥ・ハー
2003/7/1
Hable con Ella
2002年,スペイン,113分
- 監督
- ペドロ・アルモドバル
- 脚本
- ペドロ・アルモドバル
- 撮影
- ハビエル・アギレサローベ
- 音楽
- アルベルト・イグレシアス
- 出演
- ハビエル・カマラ
- ダリオ・グランディネッティ
- レオノル・ワトリング
- ロサリオ・フローレス
- ジェラルディン・チャップリン
- パス・ベガ
- ピナ・バウシュ
- カエターノ・ベローソ
もう4年もの間、昏睡状態に陥ったままの若く、美しい女性アリシアを懸命に看護する看護士のベニグノ、彼は日々アリシアに話しかけ看護士と患者という関係を超えた気持ちを抱いているように見える。一方、ライターのマルコはテレビで見た女性闘牛士のリディアに一目惚れし、彼女を取材するという理由で彼女に近づき、彼女と付き合うことになった。しかし、リディアはマルコ「試合が終わったら話がある」と言い残したまま競技中の事故で昏睡状態に陥ってしまう…
昏睡状態に陥り、動かず語らない愛する女性を見つめる二人の男、そんな悲痛なテーマにさまざまな変化をつけてアルモドバルは見事な物語を紡ぎ出す。ピナ・バウシュとカエターノ・ベローソが出演しているのも面白い。アカデミー最優秀作品賞を受賞。
『オール・アバウト・マイ・マザー』がヒットして、アルモドバルもすっかりヒットメイカーになった感がある。それ以前はかなりキッチュな変わった映画を撮る監督という印象だったけれど、ここ2作を見る限り、いわゆるミニ・シアター系の「いい映画」を撮っている。確かに『オール・アバウト・マイ・マザー』はこれまでのアルモドバル像を覆すような非常にいい映画だったけれど、こんどの映画はそれと比べると少々まとまりすぎていて、パワーにかける。
アルモドバルの映画にはいつもどこかが狂っていて、それが映画のバランスをうまく崩して面白みを生んできた。この映画も主人公のベニグノにどこか狂ったところがあり、それが映画に緊迫感を生んでいるわけだけれど、どうもおとなしすぎる。アルモドバルとしてはそのような狂気を描くよりもストレートに「愛」や「孤独」を描こうとしたということなのだろうけれど、アルモドバルなればこそそこに付きまとう「狂気」に焦点を当てて欲しかったと思ってしまう。
まあ、それはないものねだりなので置いておくとして、この映画は非常にたくみに仕掛けられた映画であるといえる。映画はいきなりピナ・バウシュの舞台で始まる。その舞台はさすがに力があり、ぱっと心を掴まれる。しかし映画としては観客席に焦点があり、二人の男が映される。ひとりは泣いている。劇場に一人で行くというのは非常に孤独な作業だ。どんなに感動しても、隣に座った観客との間には見えない壁があり、何かを共有した感覚はあっても、孤独感は消えない。この映画はその冒頭からそんな「孤独」のメッセージを発する。
ベニグノとマルコがそれぞれアリシアとリディアを発見する場面も象徴的に孤独だ。ベニグノはガラス越しにバレエ教室のアリシアを、マルコはブラウン管越しにインタビューを受けるリディアを目にする。それは一方的で、距離があり、しかもガラスという遮蔽物を隔てた出会いだった。この「距離」や「遮蔽物」は映画を通してずっとベニグノとマルコに付きまとう。そして2人は幾度となく孤独の淵にに放り込まれるのだ。
いかにして「孤独」に対処するのか、それがこの映画のテーマであり、誰もが少しは抱える「孤独」を多少なりとも癒すものとしてこの映画は構想されているのだろう。
テーマ的なものを言ってしまえばそんなもので終わりだが、映像は美しいし、キャスティングもいい。アルモドバルの映像の美しさ、特に色彩の使い方のうまさはどの作品を見ても感じられるアルモドバルのセンスで、この映画もその例に漏れない。物を近くでとらえ、その美しさを画面いっぱいにあらわす。それがアルモドバルのやり方で、この映画ではアリシアの(あるいは女性の肉体的な美しさが中心になっているように見える。ピナ・バウシュも美しいしジェラルディン・チャップリンも美しいジェラルディンは実際にバレエをやっていたそうで、バレエの教師役にはぴったり、もうそれなりの歳だろうが背筋がぴんとしていかにも元バレリーナ然としていていい。
途中で挿入されるサイレント映画も遊びの精神が存分に発揮されていて面白い。 あとは、カエターノ・ベローソはやっぱりものすごく歌がうまい。