黒の凶器
2003/8/2
1964年,日本,91分
- 監督
- 井上昭
- 原作
- 梶山季之
- 脚本
- 船橋和郎
- 小滝光郎
- 撮影
- 森田富士郎
- 音楽
- 大塚善升
- 出演
- 田宮二郎
- 浜田ゆう子
- 金子信雄
- 根上淳
大日本電機に職工課長として勤める片柳はある日いったバーの女給に言い寄られ、そのままいい仲になる。バーの女給にしては羽振りのいい暮らしをしている女は株でもうけているといい、片柳に大日本電気の情報をくれないかと持ちかける。女にほれていた片柳はスパイまがいのことをして情報を手に入れ女に渡したが、実はその女はライバル会社の産業スパイだった…
田宮二郎と/または宇津井健による「黒」シリーズの第9作。今回も田宮二郎が眉間に皺を寄せて産業スパイを熱演。ヒロインはグラマー女優の浜ゆう子。
この「黒」シリーズというのは1作目と2作目(と11作目)の監督が増村保造で、主役は田宮二郎か宇津井健(『黒の切り札』では二人が競演)というシリーズ。題材は主に産業スパイで、毎回ボンド・ガールのようにヒロインが登場する。思えば「007」シリーズが始まったのもこの「黒」シリーズが始まったのも同じ1962年、偶然にしても面白い。
イギリスは冷戦構造の中スパイを題材にし、日本では高度経済成長の時代、産業スパイが題材になった。そのような違いこそあれ、同じスパイモノが同じ年に始まったというのは面白い。まあ「007」の話はいいとしても、この「黒」シリーズはまさに「時代」が感じられて面白い。本当にこんなに激しい、犯罪まがいの、人殺しすらためらはないスパイ合戦が行われていたのかどうかはわからないけれど、高度経済成長期というのはこの映画(シリーズ)で描かれているように浮かれた明るさがある反面、どこか狂気じみたものがあった時代のようでもある。
それをこの「黒」からは感じられるし、田宮二郎の別のシリーズである「犬」シリーズ(1964年スタート)はその時代の暗部を描いているように思える。私は田宮二郎とは60年代という時代(それは高度経済成長期とも重なっていく)をもっともよく体現している映画スターであると思う。スターといえば、勝新とか、裕次郎とかいろいろいるわけだけれど、彼らはスターとしてのスターであって、時代のスターではなかったと思う。田宮二郎は60年代という時代のスターであって、まさに田宮二郎こそが時代なのだ。
この映画を見て感じたのはその田宮二郎の時代性だった。
映画としてはサスペンスとしてはまあまあ面白いわけだが、ヒロインとの関係性がちょっと湿りすぎている気がしなくもない。スパイものというともっとハードボイルドにいきそうなものだが、どうも内面的な弱さとかそういうものが抉り出されてきて湿っぽくなる。それも「味」であって、全体のプロットにそれが生かされていればいい(シリーズの中にはそんな作品もある)のだけれど、この作品は作品のドライさと男女関係の湿っぽさがどうもアンバランスで、映画としての一体感が薄れてしまったような気がする。
単体としてみればそういうことだが、シリーズの中におくと、そういう作品もあってもいいのかなという気もするし、まあシリーズモノの1本1本にいちいち目くじら立てることもないか、などとも思ったりします。