狼火は上海で揚る
2003/8/8
1944年,日本,92分
- 監督
- 稲垣浩
- 岳楓
- 胡心靈
- 脚本
- 八尋不二
- 撮影
- 黄紹芬
- 高橋武則
- 岡崎宏三
- 音楽
- 西梧郎
- 梁楽音
- 出演
- 阪東妻三郎
- 月形龍之介
- 石黒達也
- 香川良介
- 李麗華
- 王丹鳳
中国との公益を実現するため上海へとやってきた長州藩士高杉晋作、日本語がしゃべれる中国人の娘を通訳兼案内役として中国を見て歩く彼は、当時深刻を揺るがす反乱であった太平天国の指導者のひとり陳翼周と出会う。最初は喧嘩別れした彼らだったが、高杉は陳翼周に米英に支配されることの悲劇をとうとうと説いて…
戦況も激しい44年に、大規模な上海ロケを敢行、稲垣浩と中国の岳楓らの共同監督で、日華合作映画となった話題作。もちろん、当時中国は日本の勢力化にあり、合作といっても日本主導動であることに間違いはない。
日本が米英をはじめとする連合国と戦い、アジアを支配するために唱えた「大東亜共栄圏」という考え方、それが本当にはどのようなものであったのかを考えることはもちろん重要だが、この映画にあらわれてくるのは当時の日本政府(それはつまり軍部やら大政翼賛会やら)がどのようなレトリックでその言葉を使っていたのかということだ。
この映画でも登場する「インドになりたいのか」という言葉。それはイギリスによって完全に植民地化されてしまったということであり、中国も、香港やマカオをイギリスにとられ、半植民地化されていたわけだから、その思いは共有できると踏んだわけだ。
そして、アジア諸国の対英米対抗の機嫌を19世紀末に求め、民衆反乱として大きな力を持った太平天国を持ち出す。この映画の観客のほとんどが日本人であることを考えると、「日本はアジアのために戦っているんだ」という考えを植え込もうという意図もみえてくる。
日本では、幕末の太平洋戦争は尊王攘夷運動と結び付けられて語られることが多い。この映画が取り上げているのは、幕末ではなく、おそらく明治維新後(日本という「国」を主張するためには維新後である必要があった。)で、少し時代はずれるが、高杉晋作という人気の高い維新の志士を主役に据えるということろにも意図を感じる。
そして、この映画に登場する「日の丸」。どう考えても当時日の丸が国旗として確立していたとは思えないが、堂々と画面に映される。ここまで来ると、この映画は映画である以前に宣伝なのだという気持ちにならざるを得ない。
別に、それが悪いといっているわけではなく、時代の文脈に映画をおいて考えたときに、そのようなことが見えてくるというだけで、映画と時代性、映画と戦争というのは常に(いまでも)意識しなくてはならない問題だという思いを新たにしたというだけのことだ。
映画とは、昔も今も大きな力に動かされがちなものである。