破れ太鼓
2003/8/13
1949年,日本,109分
- 監督
- 木下恵介
- 脚本
- 木下恵介
- 小林正樹
- 撮影
- 楠田裕之
- 音楽
- 木下忠司
- 出演
- 坂東妻三郎
- 村瀬幸子
- 森雅之
- 木下忠司
- 大泉滉
- 小林トシ子
- 沢村貞子
- 宇野重吉
- 東山千栄子
6人の子を持ち、女中も抱えて豪邸を構える雷おやじの津田軍平。子供たちはおやじを恐れ、頼みごとがあっても直接言えず、母親に頼んでばかりいる。長男の太郎は父の会社を辞めて独立しようと考え、長女の秋子は父に押し付けられた縁談がいやで仕方がなかった。そんな軍平の会社も資金繰りが悪く、つぶれるかどうかの瀬戸際で、せっかくの誕生日もいつものように雷が落ちる…
晩妻が頑固おやじを演じるといういかにもなホーム・ドラマ。キャストも豪華な中、ドラマティックさよりも日常的な風景の中でドラマを生み出す木下恵介らしい一作。
この映画の何が面白いのか、というのを説明するのは難しい。けれど、まず6人の子供たち、中心となるのは3人か4人だけれど、それだけの子供(といっても大人)がいて、父親がいて母親がいる。それが基本的には父親対その他という構図になるのだけれど、決して単純に割り切られたものではない。父親の傍若無人ぶりがセリフでも実際のシーンでも強調され、観客を子供と母親の側に引っ張りこみはするけれど、決して一面的な味方には陥らないようになっている。子供と母親の側にいながらも、父親の気持ちもわかる。そんな微妙な位置に観客を導いて、ふむふむふむと映画を見せる。
そして、そこに家族の情とか、そういうものがからんできて、しかし前近代的な家族像というよりは、近代的な個人というものを描いていく。そのあたりがとても味があって、「いい映画だ」と思ってしまう。
こう書いてしまうと、まさに伝統的な日本映画という感じがしてしまう。確かにそのような面もあるんだけれど、そして古臭いという印象も否めなくはないけれど、それにはとどまらない今見ても面白いと思える面白さもある。
それは全体的なまとまりの中で見るとちょっと“変”に映るようなものであり、たとえば大泉滉の存在、基本的には子供の一員なんだけれど、どこか他の子供と違って父親と仲がよさそうというか、不思議な感じ。そんな彼が顕微鏡を持ち出して、父親の便から虫の卵を発見してみたり、母親になぜか注射をしてみたり、その変なところがなんだか面白い。もうひとつ“変”で面白いのは、東山千栄子と滝田修の夫婦、芋をかじりながらモンパルナスを思い浮かべるその夫婦の変さがとても面白いし、彼らの存在は大泉滉と同様に映画にとっても非常に重要なもののような気がする。
それは子供&母親対父親の二項対立になりそうな映画のプロットを単純化から逃れさせ、映画にふくらみを持たせる。そのふくらみこそがこの映画の最もいい点なのだといいたい。
古きよき日本映画を見たいと思って見るなら、晩妻の父と子供たちの対立という主プロットをおって、浸ればいいけれど、単純なノスタルジーを超えて、今でも鑑賞に堪える映画であるかどうかを考えながら見るならば、この映画のふくらみという部分にこそこの映画の真価があると思う。それは何か時代性を超えたものであり、どの時代の映画であってもこのようにふくらみがあってこそ初めて、時代を超えて、ノスタルジーの対象であることも超えて、一本の映画として残っていくのだと思う。