沓掛時次郎
2003/9/10
1961年,日本,87分
- 監督
- 池広一夫
- 原作
- 長谷川伸
- 脚本
- 宇野正男
- 松村正温
- 撮影
- 宮川一夫
- 音楽
- 斎藤一郎
- 出演
- 市川雷蔵
- 新珠三千代
- 杉村春子
- 志村喬
- 島田竜三
- 稲葉義男
渡世の義理から六ツ田の三蔵に一太刀浴びせた沓掛生まれの時次郎は、その義理を果たした溜田の助五郎が三蔵の女房お絹への横恋慕の果てに三蔵を狙ったと知って助五郎の手からお絹と倅の寅吉を救って旅に出ることになった。途中病に倒れたお絹のために熊谷の宿にとどまることにしたが、そこにも助五郎の追っ手が迫ってきた…
宮川一夫の撮影で市川雷蔵が沓掛時次郎を演じた。新珠三千代に杉村春子、志村喬と脇役人も豪華で、物語も人情ものととりあえず楽しめる要素はそろい、そのとおり文句の付け所のない仕上がりになっている。
毎度のようにといってしまうと何ですが、宮川一夫と市川雷蔵、この組み合わせは美しい。宮川一夫のカメラに捕らえられた雷蔵はまさに絵に描いたような美男子、顔だけでなく立ち居振る舞いも含めて、これぞスターという美しさを振りまく。他のカメラマンがとってもスターはスターだが、宮川一夫が作り出す色彩と市川雷蔵がもつ色彩の相性がいいせいか、画面の中で浮き立つように美しさが漂う。同じころの大映のもうひとりのスター勝新の場合にはそれほど宮川一夫だからどうという感じはない。宮川一夫の映像は誰が出ていても美しいのだが、ことさら勝新が美しく(あるいはかっこよく)映るわけではないような気がする。
それは雷蔵が鮮やかな色彩を持っているのに対して、勝新は渋い色彩を持っているからだろう。宮川一夫と市川雷蔵コンビの映画を見ていると、役者というのはそれぞれに色彩を持っているのだと感じさせられる。市川雷蔵が淡い暖色系の色、桃色や橙色であるのに対して、勝新太郎は濃い暖色系の色茶色やエンジであるように思える。勝新が白塗りの二枚目では今ひとつブレイクしなかったというのもこの色のせいなのかもしれない。
もちろん映画はカラーばかりではなく、白黒の映画もあるわけだけれど、白黒の映画であってもどこかに色が感じられるし、あるいは役者の持つ色というのが白黒であるはずの画面に色があるように錯覚させるひとつの要素となっているということもできるのかもしれない。
そういう流れからいうと、杉村春子もかなり独特な色を持つ役者であるような気がする。杉村春子が画面に登場するとがらりと全体の色の印象が変わる。この映画を見た感じでは緑色という感じだが、とにかく濃い色を持っていて、他の人たちの色をも変えてしまうような印象だ。この映画では杉村春子が登場するシーンでなんとなく画面のトーンが押さえられているような印象を受けたが、それは宮川一夫が杉村春子の色合いが強く出すぎることを嫌ったからなのではないだろうか?
こんな話はどう転んでも印象論にしかならないのだが、なんとなく「色」が気になったので、考えて見ました。