DOG STAR/ドッグ・スター
2003/9/21
2002年,日本,125分
- 監督
- 瀬々敬久
- 脚本
- 瀬々敬久
- 撮影
- 斎藤幸一
- 音楽
- 安川牛朗
- 出演
- 豊川悦司
- 井川遥
- 石橋凌
- 泉谷しげる
- 余貴美子
- 深浦加奈子
- 嘉門洋子
盲導犬のシローは失明した元ボクサーと長年過ごしてきたが、ある夜、交通事故にあい、シローだけが生き残ってしまう。すっかり意気消沈してしまったすでに老体のシローの元に幽霊となった元ボクサーが現れ、一つだけ願いをかなえてやると告げた。シローはもう同権を子供時代だけ預かって育てるボランティアのパピーウォーカーに逢いたいと願い、人間の姿を借りることにした。しかし見つけ出した家には人がおらず…
ピンク映画の巨匠であると同時に、一般映画でも次々と優れた作品を発表している瀬々監督が撮ったハート・ウォーミング・ストーリー。ある意味では非常にまっとうな作品に仕上がっていて面白い。
「盲導犬が子供の頃育ててくれた家族に会いに行く」なんてあまりにお涙頂戴の話をあのピンク映画の巨匠瀬々が撮る。なんて、いったいどうなることかという感じがしてしまうわけだが、この映画は非常にまっとうである。下手な感動を狙ったいやらしいファミリー向け映画になることもなく、奇をてらったマニアックな映画になることもなく、ちゃんとしたいい映画になった。
のだけれども、この映画に期待されているのは瀬々監督らしい個性的な映画であるか、ファミリー向けのハート・ウォーミングな映画であるか、どちらかであったはずだ。そのどちらかの期待を抱いてこの映画を見て人にとってはかなり期待はずれの作品となってしまっただろうことは推測できる。
しかし、そのような「期待はずれ」こそがこの映画の確信なのかもしれない。瀬々監督は自らにかぶせられたイメージをはずし、盲導犬とパピーウォーカーという聞いただけで涙が出そうな物語をはずす。どっちつかずの話のようでいて、実は周到に練られた自分自身にとっての革新的な映画。そのような映画として監督はこの映画を撮ったのだと私は思う。
そのはず仕方というのを詳しく見てみると、盲導犬とパピーウォーカーの家族の再会の話ということになると、家族向けの感動の話ということになるわけだが、この映画では家族の大半が死んでしまい、しかも犬が人間の姿を借りてしまうということでその感動の要素はどんどんそがれていく。再会に感動はなく、そもそも自分が犬であったということを信じてもらえるとも思えない(安っぽい感動ものなら、あっという間に信じられてしまうわけだが)。このことによって物語は行き場を失いさ迷い始まる。
同時にシローが本来的には犬であるがために瀬々監督のホームグラウンドである「性」の描写もまた不可能である。にもかかわらず瀬々映画らしいキャラクターとして石橋凌演じる元ボクサーも登場する。彼のはく性的なほのめかしのあるセリフは逆にそのような描写が実現することを抑圧していくのだ。
そのようにしてとられた映画であるということは、監督の特性を奪いそうな気がする。持ち味を出すことができず、凡作になってしまうような気がする。しかし、この映画であえて瀬々監督が自分を抑圧して行ったのは、自分の映画作りの本当の実力を見定めるためではなかったか。観客に訴えかけるスペクタクルの要素を排していって、純粋に映画というものと向き合う。そのような姿勢で映画に向った結果の映画だったのではないかと思う。その結果たち現れた映画はまっとうな映画らしい面白さがそこここに見られる。映像の組み立て方も当たり前のようでありながら非常に熟練したこなれた感じがあるし、物語の展開やテンポにも優れたものを見出しうる。
奇をてらった映画や、安っぽい子供だましの映画が多い中でこういうまっとうで地味な映画があるというのは非常にうれしいことだ。用意されたであろう「感動モノ」、豊川悦司に井川遥というキャスト、を逆手にとってしっかりとした映画を撮ってしまう。やはりこの監督は只者ではないと思った(多分、興行的にはあまり成功していないと思いますが…)。