セックスと嘘とビデオテープ
2003/11/1
Sex, Lies and Videotape
1989年,アメリカ,100分
- 監督
- スティーヴン・ソダーバーグ
- 脚本
- スティーヴン・ソダーバーグ
- 撮影
- ウォルト・ロイド
- 音楽
- クリフ・マルティネス
- 出演
- アンディ・マクダウェル
- ジェームズ・スペイダー
- ピーター・ギャラガー
- ローラ・サン・ジャコモ
アメリカ南部の町に住む弁護士のジョンとアンの夫婦、アンはセラピーに通い、ジョンはアンの妹シンシアと浮気を重ねる。セックスに対して気後れな態度を見せるアンと対照的にシンシアは奔放で、姉の夫との関係を楽しんでいる節がある。そんな夫婦の家にジョンの学生時代の友人であるグレアムがやってくる。ジョンとは対照的に芸術家肌のグレアムにアンは魅かれはじめるが…
スティーヴン・ソダーバーグがカンヌのパルム・ドールに輝いた監督デビュー作。緊迫感のある物語と映像が才能を感じさせる。
斬新なタイトルと、緊迫感のある映像から、ドラマティックな映画であるような印象を受けるが、実はアンチ・クライマックスといってもいいような地味な映画だ。夫の浮気とそこに現われる夫の友人というソープ・オペラじみたありがちな設定。そこにビデオという小道具が絡んでくるだけ(つまり「嘘とビデオテープ」だけ)なら完全に昼ドラの世界である。それがカンヌでパルム・ドールを撮るようないわゆるアート系の映画になりえたのは「セックス」という要素があったからである。しかし、そのように重要な要素であるセックスについても、特に何か劇的なことがあるというわけではない。セックスに対してある種の恐怖症を抱いている男と女、何の躊躇もない男と女、そんな4人の男女がいてそれぞれのセックスに対する考え方というか姿勢というか、そのようなものをぶつけるというだけの話だ。
それは映画のテーマとしては非常に面白いし、特にアンのセックスに関して考えることすら抑圧しようという態度は興味深い。そのことに関して自分で考えるきっかけにはなる。しかし、この映画はその問題に対して何か考察を繰り広げているものでは決してない。セックスに関して4人のそれぞれが何かを考え、関係性が変化したという物語を淡々と語っているだけなのだ。それはクライマックスに向って盛り上がっていく物語とは根本的に違うものである。しかしこの映画はさもクライマックスに向って盛り上がっているかのように振舞う。そのあたりは映画の語り方として巧妙なものであるし、それこそが監督の才能であるのだろう。
そして、クライマックスを欠いた物語であるという点も非常に面白い。クライマックスを欠いているがゆえにこの映画はリアリティを持つ。リアリティを持つ、つまり「現実らしい」ということは必然的に劇性からは遠ざかっていくモノだろう。この現実らしいアンチ・クライマックスの物語をまるでドラマ(劇性に富んでいる)であるかのように仕立てた映画の作り方がこの映画のすごさなのだと思う。
それには映像の作りも寄与している。映像の緊迫感があたかもこの映画がドラマティックであるかのような印象を与えるのだ。冒頭からセラピーにかかるアンの声に別の映像が重ねられるなどデビュー作らしい意欲が感じられる。そして、動きのあるカメラが生み出す映像とビデオの粗い映像が挿入されることで画面の感触に変化が与えられ、全体的に緊迫感の漂うようなる。このあたりは自らカメラを持ったりもするソダーバーグらしいこだわりと言うことができるだろう。
そのようにして画面に与えられた緊迫感は映画全体に緊迫感を生み、クライマックスに向っているかのように偽装された物語とあいまって劇的なドラマであるかのようなアンチ・クライマックスの物語が出来上がるのだ。