四季の愛欲
2003/11/10
1958年,日本,108分
- 監督
- 中平康
- 原作
- 丹羽文雄
- 脚本
- 長谷部慶治
- 撮影
- 山崎善弘
- 音楽
- 黛敏郎
- 出演
- 山田五十鈴
- 楠侑子
- 桂木洋子
- 安井昌二
- 中原早苗
- 渡部美佐子
- 小高雄二
- 宇野重吉
- 永井智雄
小説家の清水谷はトップモデルの吟子と夫婦として暮らしているが、世間には秘密にしていた。そんな清水谷のところに近所に住む母親の浦子が小遣いをねだりに来た。吟子は浦子が近くに住み、ずうずうしく小遣いをねだりに来ることを苦々しく思っていた。浦子はその足で10年来の愛人である平川と熱海に出かけた。
中平康得意の群像劇で、いろいろな人がゴチャゴチャと関係してきて、なかなかわけがわからないが、とにもかくにもラストは必見。良くも悪しくも口をあんぐりとあけて唖然としてしまうこと請け合い。題名ほどドロドロした感じではないが、ひとり山田五十鈴がねっとりとした演技を披露している。
序盤はうまい導入で、登場人物が次々と登場しては絡まりあい、なかなか面白い展開になりそうな予感がする。しかし、題名から察せられるほどにどろどろとした関係にはならず、かなりさらりとしたドライな関係を保ったまま物語は展開していく。このあたりはまさにモダニズムというところか。なので、中盤は物語的には特に見所もなく、中平康らしい斬新なカッティングなどに注目し、時折織り交ぜられる笑いのネタににやりとし、ちょっと飽きてきたなぁという頃に唖然とするラストがやってくる。という展開の映画。
人間の関係とか、心理的なもつれあいとか、そういったものに対しては語るべきものは何もないかもしれない。結婚関係や愛人関係、親子関係といったものが問題にはなっているのだが、結局のところどの関係がどの関係より重要かといった問題にはまったくならず、単純に付いた離れたの話に終始する。その何もなさというのがまさにモダニズムという感じで、いいといえばいいのだが、根本的にモダニズムを受け入れがたいという人には今ひとつ退屈な映画になってしまってはいるのだろう。
しかし、ラストはすごい。物語の展開的にもその強引さというか、飛び方というか、「そう来るんかい!」という驚きで唖然としてしまうし、セリフを含めた映像のものすごさ、わけのわからなさにも唖然としてしまう。汽車の車輪やら何やらをはさみながら短くカットをパンパン切り替えていくそのリズムがとてもよく、一度見たら忘れられないようなラストシーンになっている。
ので、このラストシーンを見るためだけでもこの映画には見る価値があり、そのラストシーンの衝撃も映画全体をゆっくりと見ていないと十全には味わえないのだから、ちゃんと映画を見なきゃならんということになるので、ある意味ではすごい映画だ。
しかし、それもまたやはりモダニズムのからくりという気がして、受け入れがたいといえば受け入れがたい面もある。面白いと思えれば、中平康にもどんどんはまっていき、この映画の面白さもどんどんまして行く。「どうなの?」と思ってしまえば、まあそれまでかなという映画ではあるが、中平康という監督は非常に魅力的で、何かがあるということは感じられると思う。好き嫌いは分かれると思うけれど、稀有の才能であることは確かだ。
個人的には、ものすごい速さのセリフでさまざまな状況を説明してしまう強引さなどがいまいちしっくり来なかったのですが、もう少しちゃんと見てみて、何かを見出したいという気はしました。