ティファニーで朝食を
2003/11/19
Breakfast at Tiffany's
1961年,アメリカ,114分
- 監督
- ブレイク・エドワーズ
- 原作
- トルーマン・カポーティ
- 脚本
- ジョージ・アクセルロッド
- 撮影
- フランツ・プラナー
- 音楽
- ヘンリー・マンシーニ
- 出演
- オードリー・ヘップバーン
- ジョージ・ペパード
- ミッキー・ルーニー
- パトリシア・ニール
NYに暮らすホリーはティファニーのショー・ウィンドーを見ながら朝食を食べるのが好きだった。彼女の夢はティファニーのようなところで暮らすこと。そのために日々お金持ちと遊び、お小遣いを稼いでいた。そんな彼女の上の部屋に売れない小説家であるポールが越してくる。ポールはすぐにホリーに惹かれるが、ホリーは見果てぬ夢を追って金持ちの男を追いかけていた…
テーマ曲「ムーンリバー」が印象的なスタイリッシュなラブ・ストーリー。オードリーの魅力も相変わらずだが、映画のつくりが非常に丁寧で、気が利いていて面白い。
『ティファニーで朝食を』とはあまりに有名な「オードリー・ヘップバーンの」映画である。確かにオードリー・ヘップバーンは相変わらず魅力的である。そして、オードリーのイメージとティファニーのイメージがうまく重なって、「オードリーの映画」というイメージが作られた。そしてムーンリバーの強烈な印象。ギター片手にそれを歌うオードリーはいやおうなく魅力的である。
しかし、この映画の真価はオードリー以外の部分にある。一番わかりやすいといえば変な日本人“ユニオシ”を演じるミッキー・ルーニーである。強烈なキャラクターではあるが、プロットに深くかかわってくるわけではない。しかし、彼がいることで映画の印象は大きく変わる。それはただのロマンティックな物語ではなくなるということだ。ホリーとその周辺の閉じられた空間だけで展開される物語ではなく、常にその外部とかかわっていくことでこの映画は成立する。その意味ではドクの存在も、フランク(本物の)の存在も同じく重要なものであるといえる。
そのようにして開かれた物語になることで、一見ハリウッド映画にありがちな絵空事と見えるこの映画が共感を呼ぶこともできるし、ひろく人々に受け入れられるものとなりうえたのだと思う。
そして、そのように人々をその映画の世界に惹きつけるもうひとつの要素として、非常に気の利いた演出というのがある。普通の人とは違うある意味ではとっぴな行動がおしゃれに見える。そのようなキャラクターとしてオードリー演じるホリーを描いていく。例えば、出かけるときに郵便受けの中から香水を取り出してさっと振り掛ける。猫に名前をつけずに「猫」と呼ぶ(これは単純におしゃれというだけではなく、意味を持ってくるものではありますが)。
そして、ホリーだけにとどまらず、周囲の人々や撮り方にもしゃれた演出を見せる。ホリーの部屋で開かれるパーティーはその最たるものである。ホリーのやたらと長いタバコ(これもまた映画の典型的なイメージの1つである)が巻き起こす騒動(これはそのようなとっぴなものが当たり前である世界に住むホリーたちと、あくまで普通の世界に住むポールとの違いを強調する演出でもある。ポールもまたホリーたちにとってある程度の外部であり続ける)。鏡に向って、笑ったり怒ったりする少々年配の女性、そしてその女性が流す黒い涙。階段を使った人の映し方の面白さ。
それもこれも結局のところオードリーを引き立てるためではあるのだが、しかし「オードリーの映画」といってしまうのはもったいないくらいにおもしろい。オードリーのファンではなくても、これは繰り返し見て面白い映画だと思います。
東洋人蔑視、有色人種不在、という欠点をあげつらうことも可能だし、それもまた意味のあることではありますが、ひとつの夢の世界のお話として、この段階ではかなり完成された映画なのだと思います。