フル・モンティ
2003/11/27
The Full Monty
1997年,イギリス,93分
- 監督
- ピーター・カッタネオ
- 脚本
- サイモン・ビューフォイ
- 撮影
- ジョン・デ・ボーマン
- 音楽
- アン・ダッドリー
- 出演
- ロバート・カーライル
- トム・ウィルキンソン
- マーク・アディ
- スティーヴ・ヒューイソン
イギリスの鉄鋼の町シェフィールドでクラスガズは仲間とともに失業し、息子の養育費も払えずただブラブラする日々だった。そんなある日女たちが男性ストリップに行列を作っているのを親友のデイヴと目撃し、自分もやろうと思い立った。自殺を図ろうとしていたロンパーや元上司のジェラルドらを仲間に加え、早速練習を開始するが…
失業は日本でもヨーロッパでも非常に重要な社会問題である。その重要な問題を笑い飛ばしながら、実はいろいろなことを言っている。ただ笑うもよし、人情や友情に感動するもよし、さまざまな問題を考察してみるもよしという名作。
まずコメディとして優秀である。男性ストリップという設定の発見が面白い。なぜ男性ストリップとはかくも滑稽なものなのか。女性のストリップとなると裏の世界の話という気がして、なかなかコメディにはなりにくい。それは何故かを考えてみるのも面白い。それは性的抑圧の話になり、コメディとはかけ離れていくとは思うが、何故男性がストリップをする(女性がストリップを見る)のが滑稽なのか。そこには歴史的な男性と女性の関係性と「常識」とされる男性と女性の性衝動の違いという「神話」が背景にあるような気がする。簡単に言ってしまえば、男性は性衝動を持つことを公にすることに抑圧がないのに対して、女性にはある。女性も性衝動を持つことは当たり前なのに、それがあたかも悪いことであるか、あるいは少なくともはずかしことであるかのように言われる。したがって、男性がストリップを性衝動の発露として素直に見るのに対して、女性は少々ひねくれた形で、ある種のパロディとしてのストリップを見るのだ。
この映画はその隠された関係性をそっと明らかにする。自分がストリップをすることで初めて女性の性衝動というものに向き合うことになった男たち、「女にも性衝動がある」「女は男の体を値踏みする」ことにはじめて気づいて戸惑う男たち。それは笑いにもなるし、考えさせられることにもなる。この映画にはそんな気の利いた描写の仕方があちこちにある。
あるいは友情の物語でもある。最初は金のため、仕方なくストリップをやることにした男たち。バラバラでまとまりがなかった男たち。しかし彼らのあいだにはいつしか仲間意識が生まれる。それは一生とを共にする友人とかいった関係ではないかもしれない。この出来事が過ぎ、しばらくしたら連絡も取らなくなってしまう関係かもしれない。しかし、この時点では彼らは仲間としてお互いを非常に大切に思っている。それが如実に現われるのが職安(?たぶん失業手当をもらいに行っているところ)のシーンとサッカーのシーンである。彼らはつかの間欠かせない仲間同士となり、人生を共有する。それがたとえ一時的なものであってもそれは非常に素敵なことだと思う。
そんな友情をはじめとして、親子関係、夫婦関係、離婚した夫婦関係、などなどさまざまな関係がこの映画には描かれる。そのそれぞれにいろいろな含蓄があり、しんみりとさせる要素になる。これもよし。
あとは小道具の使い方がうまい。これはコメディには非常に重要なことである。なんといってもあの人形ですか。『アメリ』にも登場したドワーフ人形。あの人形を見るとそれだけで笑ってしまうようになったのはこの映画のせいかもしれない。ジェラルドの面接の場面もそうだけど、奥さんが人形を割ってしまう場面。あの場面の理不尽さがなんとも好きなのです。