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いつも2人で

2003/11/28
Two For The Road
1967年,アメリカ=イギリス,112分

監督
スタンリー・ドーネン
原作
フレデリック・ラファエル
脚本
フレデリック・ラファエル
撮影
クリス・チャリス
オースティン・デンプスター
アンリ・ティケ
音楽
ヘンリー・マンシーニ
出演
オードリー・ヘプバーン
アルバート・フィニー
ジャクリーン・ビセット
ナディア・グレイ
エレノア・ブロン
ウィリアム・ダニエルズ
preview
 多忙な建築家のマークとその妻ジョアンナ、倦怠期のふたりは忙しい合間にドライブ旅行に出かける。その旅程は実はふたりが出会った道をたどるたびであり、幾度となくふたりで、そして子供をつれて旅した旅路だった。ふたりはイギリスから大陸へと渡る船でであったのだ…
 そんな幾度かの旅をオーバーラップさせながら、変わりゆく男と女の関係と感情をさらりと描いた佳作。いかにも60年代な映像やファッションも見所のひとつ。
review
 時間軸ではなく、道に沿って映画が進んでいく。一組の夫婦の出会いから現在まで。おなじ道を旅した4度か5度の旅をオーバーラップさせながら。
 という映画なわけだが、そのオーバーラップのさせ方が非常にモダンで面白い。ヒッチハイクをしようと歩いている若いふたりの横を現在のふたりが車で通過したり、とにかく道とふたりと車とが重なり合い、混乱するほど複雑ではなく、うまく構築されているという印象だ。そして、過去の時間と現在の時間を近づけることっで、時間軸に沿って語られる場合とは違う面白さが生まれてくる。一つわかりやすい例を上げれば、ヒッチハイクに苦労する若いマークが「車を持ったら必ずハイカーを乗せる」というようなことを言っている横を、現在のマークが高級車で猛スピードで通過していくというシーンがある。
 このシーンなどはこの映画のモダンさを典型的に表している。時間軸に沿って物語を語れば見る側には話の筋がわかりやすい。しかし、モダニズムとはこの場合、時間軸を崩して、モザイク上に組み合わせることによって違う面白みが出てくるというやり方を意味する。
 時間軸に沿った映画を見る場合、見る側はこれまでに起きた出来事をある種のジャンルわけをしながら頭の中に蓄積していく。そして物語が進んだ時点で同じようなジャンルの出来事が登場したら、その蓄積の中から記憶を引っ張り出して、照らし合わせ、そのつながりを考えるわけだ。
 しかしこの映画の場合は見る側は見ているエピソードをそれぞれの時間に分類して、それを頭の中に蓄積していく。そのそれぞれの時間と時間のはざ間は空白で、映画が進んでいくにつれて、それが埋まって一つの時間の流れが完成すると考えるわけだ。
 そのふたつには何か頭の使い方に違いがあるような気がする。頭の使い方が違うから、見ているとき・見終わっているときの感じ方も違い、映画の印象も変わってくる。前者はなんとなく古典的という印象を与えるし、後者はモダンだという印象を与える。
 この映画にはそんなモダンなつくりかたがとてもフィットしていてそれがいい。

 などと、なんだか無粋なことを書いてしまいましたが、そんな形式的なことに注目する以前に、この映画の語る「男と女」ということにも注目したい。出会ったときには盛り上がり、時がたつにつれて冷めていく。それは男と女(もちろん男と男、女と女でもかまいませんが)の関係の必然であるように思われるし、そのようにメディアでは語られ続けている。
 しかしこの映画語るのは「それだけではない」ということなのかもしれない。まず倦怠期の描写から始まり、次に出会った頃の描写を次に続ける。それは何か男と女の心が離れていく物語であるかのような印象を与える。そこから映画が進むと倦怠期のふたりが旅を通して若い頃の気持ちを思い出していく物語であるかのような印象も与える。しかし、おそらく本当に描きたかったのはそういうことではなく、変わってしまったように見える関係の、実は変わっていない部分だったのではないかと思う。
 それが何なのかということは言葉ではうまくかけないことだ。そのうまくかけないことをうまい具合に映画に込めた。それがこの映画の非常にうまいところだと思う。
 途中少々散漫になる感じもないではないが、いいことを言っているし、非常にモダンであるし、時代の空気も伝えるとてもいい作品だ。
Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ60~80年代

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