危いことなら銭になる
2003/12/14
1962年,日本,82分
- 監督
- 中平康
- 原作
- 都筑道夫
- 脚本
- 池田一朗
- 山崎忠昭
- 撮影
- 姫田真佐久
- 音楽
- 伊部晴美
- 出演
- 宍戸錠
- 長門裕之
- 草薙幸二郎
- 浅丘ルリ子
- 左ト全
- 野呂圭介
輸送中の透かし入りの三叉10億余円分が強奪された。事件屋のガラスのジョー、計算尺の哲、ダンプの健の3人は贋金作りの坂本名人が狙われると踏んで香港に行っていた名人が帰国するはずの羽田空港にやってきた。狙いは見事に当たり、3人は強奪グループと鉢合わせ。そんな中、計算尺が彼らを出し抜いて名人奪取に成功しそうになるが、結局、強奪グループに奪われてしまう。
ハイテンポで展開する中平康のクライム・コメディ。ひとりのスターを中心とした日活王道アクションとは一味違う群像劇でなかなか痛快。
なんというか、いい意味でひっちゃかめっちゃかな映画。物語の筋のほうは結構こんがらがっているようでいて、実は非常に単純明快。人はたくさん出てくるが、敵か味方か灰色な存在はいないし、裏切りはない。事件屋としてそれぞれ自分の利益だけを追う3人の男、それに対して、巨悪の象徴そしてある犯罪グループ。これに加えて「贋札は芸術だ」という贋札名人。この関係を見る限り、事件屋たちが結束することが予想でき、まあそんな感じで映画は展開していく。
ので、映画としては非常にシンプルそうなのだが、実際見てみると非常に雑然としている。それはつまり映画の本筋ともいえるストーリーの部分ではない部分がこの映画にとって重要であるということでもあるといえる。そしてそれがこの映画のすごい部分でもあり、中平康が中平康であるゆえんでもあるのかもしれない。
この当時の日活の映画は、概して(あくまで概してだけれど)それほどスト-リーが面白いから見られていたというわけではなく、ひとりのスターの映画として見られていたという面が強い。ひとりのスターのひとつのシリーズはほとんどストーリー展開が同じで、下手すると出ている役者も同じということになるが、それでもスターを見に、人々は映画館に行く。あるいは同じストーリーの繰り返しでしかない映画にパターンの面白さを見る。
仮に、そのようなものが日活の王道だとすると、この映画はそのパターンから外れていく。宍戸錠は一人のスターではあるけれど、日活の定型的なスターではなく、しかもひとりのスターが主役というわけではない。
にもかかわらずこの映画は犯罪映画の王道といえるストーリーの妙で見せるわけでもなく、コメディ映画の王道といえるネタの積み重ねで笑わせることを主眼としているわけでもない。そのとき何によって映画を成立させるのかというのがこの監督のすごいところ。それは実際のところ何も盛り込まないということ。観終わって何があったのか考えてみても、全くもって何もない。印象に残っているのは何となしのかっこよさと、ともかくのスピード感。これをモダニズムと呼ぶか、オフビートと呼ぶかは自由にしても、とにかくそのような非常に現代的な時間によって映画の隙間を埋める。
果たしてなんだったのか…という虚しささえ味あわせる猥雑さ、それがこの監督の真骨頂だとしたら、この映画はかなりすごい映画ということになる。しかし果たして面白いのか。確かに時間を感じさせない勢いはあるけれど、ひとつの長いコントでしかないという気もしないではない。私にはまだこの映画の真価を吟味するだけの観察眼がないのかもしれないとも思うし、もう一度見ればもう少しわかってくるのかもという気もしてくる。