秋津温泉
2003/12/15
1962年,日本,112分
- 監督
- 吉田喜重
- 原作
- 藤田審爾
- 脚本
- 吉田喜重
- 撮影
- 成島東一郎
- 音楽
- 林光
- 出演
- 岡田茉莉子
- 長門裕之
- 芳村真理
- 清川虹子
- 宇野重吉
- 殿山泰司
第二次世界大戦のさなか、結核にかかった学生の河本周作は列車でであった温泉女中のお民に秋津温泉の旅館に連れて行ってもらう。そこでおかみの娘新子に出会う。河本は盛んに死にたいと口にするが、新子はそれを必死に踏みとどまらせ、ついに終戦を迎えた。終戦の日、泣きじゃくる新子を見た河本は生きる望みを取り戻し、やがて帰っていった。しかし、数年後ふたたび河本は秋津にやってくる…
女優岡田茉莉子が自身100作目の出演作として藤田審爾の原作を選び、吉田喜重に脚本と監督を依頼して製作した意欲作。原作を大きく翻案し、ダイナミックな恋愛叙事詩となっている。
岡田茉莉子はこの映画が作られる10年も前に原作の映画化権を得ていた。岡田茉莉子はそれだけ意欲的な女優だったのだ。そして彼女は自身の100作目の主演作に自らプロデューサーも勤め、当時助監督に降格されていた松竹ヌーベルバーグの旗手のひとり吉田喜重に白羽の矢を立てた。そしてこの出会いがふたりの結婚と、独立プロ現代映画社の設立につながったのだからふたりにとっては文字通りエポックメーキングな作品だったといえるだろう。そして、日本映画史的に見てもひとつの時代が終わりに向っていること(簡単に言えば撮影所システムの終焉)を告げる作品のひとつであるとも言えるだろう。
と、映画の外側から見てみるとそういうことになるのだが、それはまああくまで知識の問題で、知っていたからといって偉いわけでもないし、映画の見方が変わるいうわけでもないはずだ。しかしまあ、そんな知識を知って映画を見るのも面白いこともあるという話し。
ということで、映画の中身のほうに入ると、何といってもこの映画は岡田茉莉子の映画である。松竹のカンパニー・クレジットより前に「岡田茉莉子出演100本記念作品」という感じのサブタイトルが入る。そして映画の中で誰よりも存在を主張するのが岡田茉莉子なのだ。物語は待つ女新子(岡田茉莉子)とやってくる男河本(長門裕之)によって展開されるわけで、確実に恋愛映画であるわけだけれど、その関係は決して平等ではなく、新子には救済者であるという重荷も背負わせられているのだ。新子とは河本にとって救済者であり、救いの光であって、ある意味では世界の中心であるのだと思う。そのようにして河本の視点から映画内の世界は新子を中心に構築されていく。そのとき、視点は新子の側になくとも、新子の、つまり岡田茉莉子の映画としてしか子の映画はありえなくなってしまうのだ。
ところでこの映画は「光」を意識させる映画でもある。まずこの映画は映像の美しさ(そこには被写体である岡田茉莉子の美しさも含む)に執拗なまでにこだわった映画であることは明らかである。それも、動きのダイナミズムではなく、構図や色彩の美しさ、そこにかなりのこだわりを見せている。そして、その美しさを生み出す手段として「光」がかなり意図的に使われている。それも強い外光を利用して強いコントラストを作り出し、そこに美しさを生み出すのだ。最も象徴的なのは、日本の敗戦を知って走って戻ってきた新子が窓辺に座って泣き出すシーンである。新子は窓に正対し、窓からは輝く外光が差し込んでくる。それを河本の横からの視線でカメラは捉えるわけだが、その新子の顔の側と背の側のコントラストが非常に美しいのである。
これによって新子に「光々(神々)しさ」を与えようとしているとは思わないが、このようにあふれる光の中で泣いている新子を見て河本が生きる望みを取り戻したということを考えると、この「光」に何らかの意味合いが与えられているように思えてしまう。こう考えてみると、新子がいない街のシーンのほとんどが夜のシーンであることなども何か意味ありげに思えてくる。そのようにして吉田喜重は「光」を効果的に利用して巧みに演出をした。
とにもかくにも「光」をまとった岡田茉莉子がこの映画の中心であり、彼女の100本記念作品にふさわしい作品になったことは確かである。