御法度
2003/12/29
1999年,日本,100分
- 監督
- 大島渚
- 脚本
- 大島渚
- 撮影
- 栗田豊通
- 音楽
- 坂本龍一
- 出演
- 松田龍平
- ビートたけし
- 武田真治
- 浅野忠信
- 崔洋一
- 田口トモロヲ
- トミーズ雅
- 坂上二郎
- 的場浩司
- 伊武雅刀
- 神田うの
- 桂ざこば
- 吉行和子
- 寺島進
- 田中要次
幕末、京都の町の治安を守る新撰組、池田屋事件後さらに隊員を集めるべく行った入隊試験のなかで力を見せた加納惣三郎と田代彪蔵。絶世の美男子である惣三郎は新撰組の男たちの心も惑わせ、田代がついに惣三郎と恋仲になる。
倒幕への機運が高まる中、新撰組の中で渦を巻く羨望や嫉妬が徐々に隊を不穏な空気で包み始める。
新撰組を加納惣三郎という美少年を中心とした衆道(同性愛)の関係で捉えなおした作品。基本的にはプロの役者ではない人々を起用して、全体的にちぐはぐな感じを演出。美術をはじめとするビジュアルの不思議さも加わって、どこか異世界の話であるような印象を受ける。
男ばかりが集まる組織には常に衆道があった。これは明治以前には公然の秘密というか、当然のこととも言うことができた。衆道とは今で言うような同性愛では必ずしもなく、基本的には少年愛の世界なのだと思う。戦国武将が小姓を抱えていたように、少年を愛の対象にする。それは至極当然のことと考えられていたのだと思う。中には同性愛というセクシュアリティを持っていた人もいただろうが、そうでなくとも、ある種の慣習として衆道は存在していたのだと思う。この映画でいえば、湯沢藤次郎(田口トモロヲ)は妻を持ちながら、惣三郎にも思いを寄せる存在であり、近藤勇をはじめとした隊の重鎮が心をざわめかされるのも、「その気はない」といいながら、衆道自体は「御法度」ではないからである。
そのような時代の通念を利用した物語が見事である。加納惣三郎と沖田総司がさもありなんという美少年によって演じられ、「さもありなん」という空気が全編を満たす。しかも、それをドロドロとした関係にもっていくのではなく、愛憎や感情の発露を抑えた形で表現する。このあたりのバランス感覚が見事である。確かに松田龍平やビートたけしをはじめとする素人役者たちの演技はつたない。しかし、そのつたなさから生じるちぐはぐさというものがその場の空気を非常にうまく表現しているような気がする。
加納惣三郎という存在によって新撰組全体がどこかちぐはぐした組織になってしまった、そんな雰囲気がストレートに出てくる。だから、そのちぐはぐさの埒外にある登場人物たちにはうまい役者がそろえられているのだと思う。浅野忠信や田口トモロヲは自身の感情に素直であるがゆえにちぐはぐさとは無縁だし、坂上二郎や伊武雅刀はそのちぐはぐさの関係の外にいる。
だから、ちぐはぐな関係の中にいる人物たちの演技がちぐはぐであるのは映画としては非常に効果的な演出となっているのだ。そのように考えていくと、この映画は非常に見ごたえのある映画で、物語展開も面白いし、大島渚は健在だったという結論になるのではないかと思う。決して当たり前の映画は作らない監督、この映画もそもそもの物語が当たり前な新撰組とは異なる(制服まで違う)ことで、そこに目が行きがちになり、大島渚の斬新さもその程度かという感想になってしまいがちだが、実はその裏の演出の部分にさらに当たり前な映画とは違うものが隠されているということだ。それがやはり大島渚の真骨頂であり、並の監督ではないという証拠になっている。久しぶりに映画を撮ろうとすると、様々な役者やスタッフ(坂本龍一やワダエミなど)が集まってしまう巨匠ならではの悩みをも跳ね返して巨匠・大島渚はいい映画を撮ったと思う。