ニューヨークの恋人
2004/1/19
Kate & Leopold
2001年,アメリカ,118分
- 監督
- ジェームズ・マンゴールド
- 原案
- スティーヴン・ロジャース
- 脚本
- ジェームズ・マンゴールド
- スティーヴン・ロジャース
- 撮影
- スチュアート・ドライバーグ
- 音楽
- ロフル・ケント
- 出演
- メグ・ライアン
- ヒュー・ジャックマン
- リーヴ・シュレイバー
- ブレッキン・メイヤー
- ナターシャ・リオン
- ブラッドリー・ウィットフォード
1876年ニューヨーク、イギリス貴族のレオポルドは伯父にせっつかれて今日花嫁を決めなければならず、浮かない顔をしていたが、その舞踏会会場で怪しげな男を見つけて後を追う。レオポルドは逃げ出したその男とともにブルックリン・ブリッジから落ちてしまうのだ。
時は変わって現在のニューヨーク、バリバリのキャリアウーマンのケイトがそのレオポルドに出会う…
タイムスリップしてきた英国貴族と原題のキャリアウーマンと恋を描いたラブ・コメディ。メグ・ライアンが出ればどんなに無理な設定でもすっかりラブ・コメディになってしまう。
メグ・ライアンのラブ・コメは基本的には面白いものが多く、中には名作といえるものもいくつかある。そして、それらはものすごくロマンティックで、よく考えるとありえないようなおとぎ話なのである。おとぎ話であるにもかかわらず、あるいはおとぎ話であるからこそ、観客はその物語に陶酔し、女性は誰もが自分がメグ・ライアンであるかのような気分になり、男性は誰もがメグ・ライアンに恋をする。それがメグ・ライアンのマジックであるのだと思う。
しかし、この作品はちょっとありえなさ過ぎる。おとぎ話にもほどがある。メグ・ライアンのラブ・コメでは手を変え品を変えいろいろな出会いが恋の始まりになった。ラジオであったり、飛行機の中であったり、電子メールであったり。そして行き着く先がタイムトラベルとなると、やはり流石に無理がある。基本的には換わらないといえば変わらないのだが、やはり細部に配慮が行き届いていないと、いくらおとぎ話でも入り込むことができない。レオポルドが現代にいる間だけエレベーターが壊れているとか(戻って発明するなら、現代に手も壊れるはずはないし。現代にやってきたことで歴史が変わってしまったなら、エレベーターは壊れるのではなく、そもそも存在しなくなるはずだ)、言葉に特に違和感がないとか、あまりに細部で問題が多すぎる。
『17歳のカルテ』なんていう実力派っぽい作品を撮っているマンゴールド監督だから逆にラブ・コメを軽視してしまったのか、こういうおとぎ話こそすべての細部をかっちりと固めて観客の注意が無駄なところに向かないようにしなければならないのに、その注意がまったくない。なので、どうやったって面白い作品ということは出来ず、それでもやはりメグ・ライアンということで、見れない作品ではないという感じ。
相手役のヒュー・ジャックマンもなかなかいいのだけれど、話題性や派手さから言うと、歴代の相手役には引けをとってしまう。英国貴族の役ならば、ドカンとヒュー・グラントを持ってきて、ラブ・コメの二大巨頭夢の競演! にしてしまえば、こんな脚本・演出でも大ヒットしただろうに。などと映画を見ながら余計なことをいっぱい考えてしまうことがこの映画のイマイチさを端的にあらわしています。
それでも、メグ・ライアンやヒュー・ジャックマンが好きなら、それだけで楽しめるだろうし、メグ・ライアンのラブ・コメをほとんど見たことがない人であれば、それなりに新鮮な面白さがあることでしょう。イマイチというよりは平均点という感じでしょうか。