座頭市の歌が聞える
2004/1/26
1966年,日本,83分
- 監督
- 田中徳三
- 原作
- 子母沢寛
- 脚本
- 高岩肇
- 撮影
- 宮川一夫
- 音楽
- 伊福部昭
- 出演
- 勝新太郎
- 天知茂
- 小川真由美
- 佐藤慶
- 浜村純
- 吉川満子
座頭市は浪人者がならず者たちから金をもらって人を斬る場面に遭遇する。座頭市は斬られた男が追いはぎにあっているのを見つけ、ならず者たちをたたき斬り、事切れようとするその男に金を渡すよう言付かる。かといってどこに行けばいいか見当も付かない市は旅の途中でであった琵琶法師の話を聞いて、一宮の宿場に向かうことにした。
「座頭市」のシリーズ第13作。第1作で市の好敵手を演じた天知茂が再び浪人者として登場。監督は「座頭市」は3作目となる田中徳三、さらに名カメラマン宮川一夫が2度目の「座頭市」と役者はそろい、仕上がりもなかなかのもの。
天知茂は今回はそれほどいい味を出していない。やはり一作目がよすぎたのか、それと比べるとはるかに劣るという感は否めない。一作目で二人が対決したのは橋の上、この作品でも座頭市は橋の上で敵の雑魚どもをばったばったと斬り捨てる。そしてそこに天知茂が現れる。しかし、二人はそこで戦うことはなく、「やろうか」といって川辺へと行く。このあたりのずらし方はファンに向けた心憎い演出なのかもしれない。
この川辺のシーンもそうだが、この作品はロングショットで非常に美しいシーンが多い。アクション映画なんだから、殺陣のシーンなんかはよってとりたくなるものだろうに、宮川一夫は禁欲的に引きで撮り、殺陣をしている勝新とその他大勢を小さくとらえて、周りの風景と一体化させる。ほかの映画でも宮川一夫が撮った作品でそんな禁欲的なカメラワークが見られてような気がする。
宮川一夫というカメラマンはやはり、アクション映画でも画面の美しさに徹底的にこだわる。ダイナミックに動かして迫力を増すことよりも、一瞬一瞬の構成美で観客を魅了しようとする。考えてみれば、カメラマンが宮川一夫でなくとも、「座頭市」には全体的にそのような傾向があるようにも思える。座頭市の剣(ではなく仕込み杖だが)さばきは、アップで撮るよりも引きで撮ったほうが魅力的だと思う。市は全身で敵の動きを感じ、すばやく反応して一太刀でばさっと斬り捨てる。その間合いと呼吸こそが「座頭市」の殺陣の面白さなのだ。だから、市の顔のアップ(白目をむいたり、鼻や耳をひくひくと動かしたりというショット)はあまり必要ではなく、ちょっとはさまれるだけで後は全体を撮る。それが非常にいい。
物語のほうは、抜群というわけではないが、それなりに面白い。市がやくざもんの争いに巻き込まれて、とりあえず庶民の味方をして義賊的な活躍をする基本的なプロットを踏襲しながら、さらに「女」が登場する、市のライバルとなるつわものが登場する、といったパターンにも沿っている。
しかし、そこに琵琶法師が加わることで、基本的な物語の単純さから逃れ、市の内面的な葛藤が表に出てくる。同じ盲目という境遇にあり、しかしそれをちっとも苦にしていないように見える琵琶法師、市は彼にいろいろなことを教わり、自分なりに考える。なかなかそんな市は見られない。座頭市はいつも余裕しゃくしゃくで仕込み杖一本で浮き世を渡り歩く無敵の男であるはずなのに、琵琶法師の琵琶を聴き、話がなら「こわかった」とまでいうのだ。そこには市の迷いがあり、人間くささがある。市は常に人間くさくはあるけれど、この作品ではそれが際立ち、それが基本的な物語のパターンにアクセントを加えて、かなり面白みのある話になっているのだと思う。