非常線の女
2004/2/6
1933年,日本,100分
- 監督
- 小津安二郎
- 原案
- ゼームス・槇
- 脚本
- 池田忠雄
- 撮影
- 茂原英朗
- 出演
- 田中絹代
- 岡譲二
- 水久保澄子
- 三井秀夫
- 逢初夢子
- 高山義郎
タイピストの時子は社長の息子に言い寄られ指輪をもらう。しかし、時子は実は与太者の襄二と付き合い、姉御と呼ばれる一面を持っていた。その襄二は元ボクサーで腕っ節では誰にも負けない、何人もの子分を連れる顔だった。そんな襄二の仲間にしてくれと宏というボクシング・ジム若いのがやってくる。襄二は渋るが、時子の後押しもあって仲間になるのだが…
ハリウッド映画の影響が強く感じられる小津の戦前の作品。田中絹代と岡譲二という二人のスターを起用し、小津らしさよりも若さが感じられる。
1933年、まさにハリウッドは黄金時代である。小津もアメリカ映画の影響を強く受ける。もちろんどの作品にもその影響はあるのだが、小津らしさという一つのスタイルが確立されてしまったあとではその影を具体的に見ることはできない。しかし、若いころの小津は試行錯誤なのか、自分のスタイルを確立していく道なのか、作品ごとに感じが違う。この作品のころ、小津はおそらくまだ20代で確かに若いが、監督としてデビューしたからはすでに5年以上がたち、作品の数も20本以上を数えていた。
徐々に小津らしさというものはできてくるのだが、今から観て本当に「小津らしい」と感じるのはやはりトーキーになってからという感じで、サイレントの作品を見ると「何か違う」という感じがする。もちろんトーキーとサイレントでは映画の作り方が違うわけで、小津もまたしかり。サイレン時の映画にはさまざまなスタイルがある。この作品はその際たるものという感じで、自分の好きなハリウッド映画、それもギャングものを日本で撮ろうという意欲が感じられる。
それが成功しているとは思えないが、物語としてはなかなか面白いし、観察者としての小津は日本の社会にもこんな面があるということを言いたかったのかもしれない。しかし、どうも余り格好よくない。岡譲二はまだしも、田中絹代となるとどうもギャングなんてものは板につかない。田中絹代は不幸は似合うけれど、与太者は似合わないのかもしれない。うまくこなしてはいるけれど、やはりどうしても抱えているイメージと役とがしっくりこない。それと比べると水久保澄子という女優さんがとてもいい。まさに役柄にピタリとはまる容姿と雰囲気を持っていて、和装もピタリと来る。そして丸顔で小津好みの顔である。全く無名で、代表作などもないと思うが、この映画ではきらりと光っていた。
田中絹代も含めてこの映画はどこかギクシャクしている。終盤はうまくまとまって展開もわかりやすいというか、落ち着いた方向に行くのだが、前半はなんだかあっちへ行ったりこっちへ行ったりという感じで落ち着きがない。それもやはりスタイルが固まっていない(あるいは実験を繰り返している)固めの不安定さなのかと思う。
それでも、サイレント期の小津らしさというのがある。まずは岡譲二のバタ臭さは岡田時彦をはじめとするサイレント期の主演男優に共通するものだ。そして、撮り方としては人をひとり正面から捉えるというカットが多く、印象的だ。フィルムが古いこともあって、画面の真ん中ばかりが明るくなり、周縁は暗くなっているためにその効果が強調されているということもあるだろうが、小津は意図的に人を正面から捉える。これはサイレント期にとどまらず、晩年まで特徴的な「小津らしい」画作りであるといえる。