ロジャー&ミー
2004/2/7
Roger & Me
1989年,アメリカ,90分
- 監督
- マイケル・ムーア
- 脚本
- マイケル・ムーア
- 撮影
- クリストファー・ビーヴァー
- ジョン・プルーサック
- ケヴィン・ラファティ
- ブルース・シェーマー
- 音楽
- ジュディ・アービング
- 出演
- マイケル・ムーア
マイケル・ムーアはミシガン州フリントで生まれ育った。その町はGM創設の町であり、マイケル・ムーアの家族も彼以外は全員GM社員だった。マイケル・ムーアは町を出てサンフランシスコの雑誌社に勤めたが肌に合わず帰郷、するとGMが工場を次々と閉鎖したことで町は苦境にあえいでいた。失業者があふれ、どんどん人がいなくなっていく町を観てもらおうとマイケル・ムーアはGM会長のロジャー・スミスに会いに行くが…
突撃取材で人気を博するドキュメンタリスト、マイケル・ムーアが自身の原点とも言えるフリントの町を描いたドキュメンタリー。映像のモンタージュによってエンターテインメント性を持たせ、面白い映画になっている。
マイケル・ムーアは映像が人に喚起するイメージの力を使う方法を非常によく心得ている。ただ事実を映すだけ、ただ思ったことをいうだけ、それだけでいいたいことが見ている観客に伝わるわけではない。マイケル・ムーアはそのことを知っていて、いかに映像を使って観客に自分の考えを押し付けるかということを徹底的に追求する(「押し付ける」というのは穏やかな言い方ではないが、彼のやり方は考えを「述べる」というよりは「押し付ける」といったほうがふさわしいと思う)。
最も典型的なのはロジャー・スミスが全GM社員に向けてメッセージを送るクリスマス・イヴのパーティーの様子と、同時に(ではないが同じ日に)進行する立ち退きの様子を交互に映し、ロジャー・スミスの声をオーバー・ラップさせていく。これほどにあからさまなメッセージはない。それはもちろん、従業員をこんな苦境に陥らせた当の本人がのうのうと「クリスマスは素晴らしい」などといっていることの欺瞞を暴こうということのである。
マイケル・ムーアはそのようにして観客の感情やものの見方を操ることが非常に巧みである。時には笑いを使い、時には怒りを使う。基本的には金持ちを皮肉って笑いものにし、そのような金持ちを金持ちにし、われわれを貧しくしていく社会システムを呪うのだ。それは観ているといらいらさせられるけれど、一方では面白くもある。マイケル・ムーアが金持ちを嘲るのを見ているのは痛快なのだ。そして、金持ちたちの振る舞いはわれわれが予想しているとおりに非人間的であり、欺瞞にあふれている。それはわれわれの自尊心をくすぐりもする。われわれは貧しくあはあるけれど、人間的には彼らより上だと。
しかし、それだけではすまない。マイケル・ムーアの冷笑はわれわれにも、そして彼自身にも及ぶ。それは金持ち連中もわれわれもマイケル・ムーア自身も結局は自分のことしか考えていないということがにじみ出てくるからだ。誰もが自分を正当化するためにしゃべる。自分は悪くないということをひたすら言う。マイケル・ムーアがやっていることだって自分自身の正しさをみんなにわからせるためのことであるのだ。
そして、映画はそこで止まる。
マイケル・ムーアは金持ちを冷笑するエンターテインメント性でわれわれを引き込み、観客を貧しいものの側に立たせ、貧しいものたちを弁護して、彼の考えを押し付ける。自分の正しさを主張し、自分も含めて誰もがただただ自分を正当化するためにしかしゃべっていないということをほのめかして終わる。
何も変わらず、一歩も進まず、終わる。そこから先は完全に観客の自由なのだ。なんだか突き放しているようだが、それでいいんだと思う。ドキュメンタリストは活動家ではない。