チェンジング・レーン
2004/2/25
Changing Lanes
2002年,アメリカ,98分
- 監督
- ロジャー・ミッシェル
- 脚本
- チャップ・テイラー
- マイケル・トルキン
- 撮影
- サルヴァトーレ・トチノ
- 音楽
- デヴィッド・アーノルド
- 出演
- ベン・アフレック
- サミュエル・L・ジャクソン
- キム・スタウントン
- トニー・コレット
- シドニー・ポラック
- ウィリアム・ハート
弁護士のギャビン・バネックはある財団に関する案件のため、裁判所に向かっていた。一方、保険会社に勤めるドイル・ギブソンも子供のプレゼントにグローブを買って、どこかに向かっていた。ギャビンが高速道路で急に車線変更をしたため、二人の車が接触してしまう。ギャビンは急いでいたため、小切手を渡して現場を立ち去ろうとするが、ドイルは受け取りを拒否、ギャビンはドイルをおいてその場を立ち去ってしまった。ギャビンはそこに重要なファイルを忘れてしまい、裁判でトラブル、ドイルは車がつかまらず共同親権を争う裁判に遅れてしまう…
『ノッティングヒルの恋人』のロジャー・ミッシェルがちょっとしたアクシデントによって交差する2人の人間の人生を描いたサスペンス。
なんかこう、もやもやするというか、納得がいかないと言うか、二人の行動がいちいち癇に障る感じです。2人の主人公がそれぞれあまりに感情的で、衝動的に行動してしまい、それが連鎖的にトラブルを招いていく。運の悪いことが重なってトラブルが発展していくという展開は、よくあるし、それはそれで面白いこともあるのだけれど、この映画の場合その行動があまりに衝動的過ぎて、どうも腑に落ちない。ほんの少しでも冷静になれば、こんな結果にはならなかっただろうということがあまりに連続して起きる。それを見るにつけ、いったい彼らはどんな人間なんだ、と思ってしまう。
日本でも、最近の子供はキレやすくて、ちょっとしたことでキレて手がつけられなくなるということが話題になったりもするが、この映画はそんなプチ切れ男を局限化した2人の男のドラマのように見える。彼らは非常に切れやすくはあるけれど、根はいい人でちょっと冷静になれば相手のことを考えることもできるし、合理的な行動をとることができるのである。にもかかわらず衝動の連鎖によって取り返しの付かない自体が起こってしまうというわけだが、結果としては「だからどうした」としかいえなくなってしまう。アメリカにはそんな人が多いと言うことなのか? 彼らはただキレているだけだから理知的に悪を働く人たちよりはまだましということが言いたいのか?
前半はそんな展開にいらいらさせられっぱなしで、まったく楽しむことはできないが、後半になってようやくその構造が何かを暴き出しそうだという感じになってきて、ようやく楽しくなってくる。それをどんどん突き詰めていけば、彼らの存在から社会の何かが浮き上がってきそうだと思わせるのだが、この映画はその突き詰めるということをせず、なんだかご都合主義のようなつじつまあわせの結末をつけて終わってしまう。
はてさてこれはいったい…
このままだと、彼らは地も涙もない社会に踊らされ続け、やはりぷちっとキレてとうとう取り返しの付かない失敗をして… となってしまうのでは、と思ってしまう。よくある手ではあるが、一番重要なテーマには一切結末が付かないまま、些細なサブプロットに結末をつけて、さも大団円みたいな終わり方をしてしまうので、なんとも消化不良。
まあ、でもいろいろと考えようと思えば考えることができる。善と悪、罪の意識とは何か、日常に埋没してしまって見失ってしまうものとは… などなど。映画のつくりとしては、そういうことをいろいろ考えることができるようなゆっくりとした進み方をしているし。
ということで、スカッととか、ハラハラとか、そういうサスペンス/エンターテインメント的なものを求めるとまったく拍子抜けだけれど、重みのある人間ドラマと捉えればまあ見れるものではあると思います(そう考えるとベン・アフレックがちょっと力不足かと…)。