人間の証明
2004/3/8
1977年,日本,133分
- 監督
- 鈴木純彌
- 原作
- 森村誠一
- 脚本
- 松山善三
- 撮影
- 姫田真佐久
- 音楽
- 大野雄二
- 出演
- 岡田茉莉子
- 松田優作
- ジョージ・ケネディ
- ジョー山中
- ハナ肇
- 岩城滉一
- 三船敏郎
- 鶴田浩二
- 地井武男
- 峰岸徹
ニューヨーク、大金を手にした黒人の青年が上機嫌で日本へと向かう。一方、日本ではデザイナー八杉恭子のファッション・ショーが行われ、その会場となるホテルのエレベーターでその青年ジョニー・ヘイワードが殺されているのが見つかった。麹町署の棟寄刑事は捜査官のひとりとして捜査に加わるが、まったく手がかりのなかった事件は徐々に意外な方向に展開していく。
東京とニューヨークの二つの舞台で展開される森村誠一原作の刑事ドラマ。なかなかうまい展開の仕方に、松田優作の存在感、加えて岡田茉莉子やジョー山中がいい演技を見せて、2時間超の時間飽きることはない。
まあ面白いんです。それなりに筋立ての書き方もうまいし、観客を引っ張っていくだけの力のある展開をもっている。しかし問題なのは、あまりにもステレオタイプすぎることと、偶然に頼りすぎること。
ステレオタイプというのは、たいがいの登場人物が見た目どおりの人物だし、展開もわかりやすい。悪人は悪人らしく振舞い、刑事は刑事らしく振舞う。ステレオタイプ化されたイメージに頼って刑事は捜査を続け、物語もそのとおり展開していく。その辺りのまったくのひねりのなさ、のっぺりとした感じがどうも退屈ではある。
そして、様々な出来事のつながりがまったく持って必然性を欠き、偶然性に頼りすぎているという気がする。偶然に偶然が重なって、全ての登場人物がどこかで結びつき、それぞれに私怨を抱え、それが物語の展開に影響していく。その偶然の積み重ねがなければ、映画はまったく成立しないというか、偶然があって始めてばらばらの物語がひとつにつながるというのが、なんともご都合主義でしらけてしまう。
などと書いてみると、ちっとも面白くない映画のように見えるが、そういうわけでもない。わかりやすくご都合主義の展開ではあるけれど、それはそれ、完全なる娯楽であり、単純明快な娯楽作品としてはそれでも別に問題はないというわけ。『人間の証明』なんて思わせぶりなタイトルが深く深刻な物語を思わせるけれど、この映画は決してそんなものではない単純な娯楽作品なのである。
なのでまあ深く考えることなく楽しめばいいわけで、そういう方向から見ればなかなかいい作品になると思う。なんといってもいいのは松田優作である。眉間にしわを寄せ、低い声でぼそぼそしゃべるだけで、そこには苦悩と哲学があると感じさせる存在感。それがこの映画に何とか深刻そうな雰囲気を与える。その点では岡田茉莉子のねっとりとした存在感もまたしかり。このふたりがどうでもいい娯楽作品になりそうなこの映画をうまく支えている。
一方、岩城滉一とジョー山中はこの映画の娯楽作品としての方向性にいい味を与えている。ふたりともそうたいした役でもなく、特に演技がうまいというわけでもないけれど、とかくウェットになりがちなドラマに軽さを与えているような気がする。岩城滉一の役どころは基本的にはウェットな役のはずだけれど、どうにも短絡的で単純な行動の仕方にあっけらかんとした明るさを感じてしまう。その辺りのバランスがこの映画の面白さなのかもしれない。
まあしかし、やはりこの映画の主役は松田優作。松田優作がいなかったら、まったくもって平凡な作品になってしまったであろう作品。結局何を考えているのかわからないのだけれど、そのわからなさがまたホードボイルドな感じでいい。突き詰めていくと、結局何も残らないのかもしれないけれど、とりあえずそのスタイルが格好よければそれでよい。
小難しい話ではなく、娯楽作品だったからこそ、こんな松田優作の魅力が十全に引き出されたのかもしれないと思う。