“アイデンティティー”
2004/4/1
Identity
2003年,アメリカ,90分
- 監督
- ジェームズ・マンゴールド
- 脚本
- マイケル・クーニー
- 撮影
- フェドン・パパマイケル
- 音楽
- アラン・シルヴェストリ
- 出演
- ジョン・キューザック
- レイ・リオッタ
- レベッカ・デモーネイ
- アマンダ・ピート
- ジョン・ホークス
- クレア・デュヴァル
嵐の夜、モーテルにけが人を抱えた一人の男が駆け込んでくる。連れてきた男ジョージが嵐の中パンクを直していたところでその妻アリス交通事故にあってしまったのだ。轢いてしまったのは女優キャロラインの運転手をしているエドだった。救急車を呼ぼうとするが電話はつながらず、洪水で道もふさがって病院にもいけない状況の中、同じように閉じ込められた人々がモーテルに集まってくる。
密室で連続殺人が起きるという定番の展開のサスペンスだが、なかなかひねりが効いていて面白い。
非常に野心的な作品ではあるけれど、あらも多い。閉鎖された空間で起きる連続殺人というモティーフは劇中でも「何かの映画にあった」と言及されるとおり決して珍しいものではない。閉鎖された空間と見えない殺戮者という舞台装置はそれだけで恐怖心をあおるのに必要十分なのだ。だからそのような設定の映画は数々作られてきた。そんな中で独自性を持って他との差異を明らかにするのはなかなか難しいことだ。
だが、この映画はなかなかうまい。その閉鎖された内部だけで物語を展開するのではなく、その現場とは一見無関係に見える外部を物語りに取り込む。観客はその閉鎖空間で展開されるサスペンスに心奪われつつ、何かに関係してくる外部のことも気になってしまうのだ。そのようにして観客の心を千路に乱れさせ、映画に引き込んでいく。
それがこの映画の野心的な部分であるわけだが、その外部がいよいよ物語の核心に関わってこようというところが少し弱い。外部との関係は冒頭で示唆されてから小1時間の間まったくなくなる。そして映画も終盤かなと思ったころに再びその外部が登場するわけだが、この段階で観客はモーテルにいる登場人物の一人、あるいはその全体を概観する視線に自分の身をおいてしまっている。そこから身をぐっと引き離して外部に出るわけだから、そこにはひとつの断絶が存在する。そして、その断絶によって世界観は一変するわけだから、そこから先の展開をスムーズに進めるには相当な展開力が必要になるはずだが、それがなく、どうもそこから熱中できなくなってしまうのだ。
しかしおそらく、最後まで勢いに乗っていける人もいる。余計なことを考えずに映画の設定に乗っていくことができれば、最後までずんずんと乗っていきどんでん返しで「わっ!」となって、「ああ、おもしろかった」で終わることができるはずだ。
そういう人は幸せなわけだが、みながそのように見ることができないというのは映画のほうに問題があるといわざるを得ない。最後のあたりがどうも説明くどいところを見ると、製作者の側もそのあたりに自信がなかったのかもしれない。観客を勢いに乗せることができるという自信がないから、勢いに乗っていなくても一応納得はできるような説明くさい結末を用意してしまう。説明しなければ、納得してもらえないんじゃないか、という弱気の虫が顔を出し、どうも映画にしまりがなくなる。
基本的には面白い映画なので、そのあたりがどうも惜しいという感じ。サスペンス映画のとしての根幹の部分がなんだかボヤンとしている気がして、謎解きの難しさが同のという以前の問題として、どうしても突き抜けた面白さが生まれないのだと思う。