憎いあンちくしょう
2004/4/4
1962年,日本,105分
- 監督
- 蔵原惟繕
- 脚本
- 山田信夫
- 撮影
- 間宮義雄
- 音楽
- 黛敏郎
- 出演
- 石原裕次郎
- 浅丘ルリ子
- 長門裕之
- 芦川いづみ
- 小池朝雄
マスコミの寵児としてもてはやされる北大作は殺人的なスケジュールに追い回されている。その北代作はマネージャーで恋人の榊田典子と2年間付き合っているが、キスもしないし関係も持たないという約束を守ってここまで来た。そんな時、番組の1コーナーのために調べていた新聞広告の中に「九州まで無報酬でジープを運ぶ人を求む」というものがあった。北がその広告主を尋ねてみると、そこには純愛物語が隠されていた…
石原裕次郎主演の日活のプログラム・ピクチュアのひとつ。相手役は浅丘ルリ子で、監督は蔵原惟繕。石原裕次郎というスターの映画ではあるが、浅丘ルリ子が非常にいい存在感を出している。
映画で描かれる恋愛というと、たいていは男が不器用なものである。それはこの60年代でも変わらなかった。しかし、この映画では浅丘ルリ子演じる典子の不器用さが目立つ。
その背景にはこの映画の前提の不思議さがある。寝る間もないほど忙しい売れっ子のスター(その実、何者なのかはよくわからないが)とそのマネージャー。どうも売れる前から知っていたか、であることで売れっ子になったのかはわからないが、とにかく2年前から恋人同士の関係にある。しかしキスもしなければ関係も持たないとある。しかし、その理由はよくわからない。どうしてそのような関係を結ぶことになったのか。この時代、まだ貞節という観念はあっただろうが、それが理由であるとはとても思えない。とにかく、ただそのように約束したということがあって、2人はそれをかたくなに守っているのだ。
このように前提がよくわからないまま映画は始まり、進んでいく。そのような関係だから、2人とも実は不安なのである。特に典子のほうは忙しさが増すとともに不安が募る。そこで彼女は仕事によって大作を自分に縛り付けておこうとする。そこが彼女が不器用だというところである。恋人同士であるのに仕事にしか結びつきを見出すことができない。その不器用さがギクシャクした関係を生み、そこからドラマが展開されていく。見ている側はそれをじれったい気持ちで見つめる。
しかし、映画の展開は非常にスムーズでギクシャクもしないし、じれったくもならない。そのあたりの物語の展開と映画の展開の差がなかなか不思議で面白い。じれったい気持ちを抱えながらも、映画はなんとなく進んでしまう。そしてそれが面白い。そんなとらえどころのない面白さがこの映画にはあるのだ。
そしてその面白さというのも典子の不器用さから来ているのかもしれない。
石原裕次郎の格好よさと観客をひきつける魅力については言うまでもない。裕次郎は裕次郎として映画の中心にでんと座る。役柄としても何かにいらだち、不安がっていはしても、決して闇雲ではない。スマートに次へ次へと進んでいくキャラクターである。裕次郎は映画を引っ張るジープに乗ってぐんぐん西へと進むのと同じように映画をぐんぐん進ませていく。それは非常に魅力的で、この映画が裕次郎の映画であるということを実感させてくれる。
しかし、この映画が大量といっていいほどにある裕次郎映画の中で異彩を放っているのは、浅丘ルリ子の存在感からである。ただただ格好いい裕次郎映画ではない面白さを生み出しているのは浅丘ルリ子演じる典子の不器用さなのである。すっきりとした映画をギクシャクさせ、テンポをずらす。その独特なリズムと関係性で、2人をそれ以外の世界から浮き立たせ、純粋な物語に修練していく。浅丘ルリ子は筆舌に尽くしがたいほどかわいく、そして物語はなんとも言えない切なさと甘酸っぱさを心の中に呼び起こすのである。
これは確かに石原裕次郎の映画ではあるが、浅丘ルリ子の映画でもある。そして、男男している感じのするこの頃の日活のスター映画の中で、女優の存在感が強く感じられる稀有な作品であるとも言える。