約束
2004/4/5
1972年,日本,88分
- 監督
- 斉藤耕一
- 脚本
- 石森史郎
- 撮影
- 坂本典隆
- 音楽
- 宮川泰
- 出演
- 岸恵子
- 萩原健一
- 南美江
- 三国連太郎
- 殿山泰司
列車で向かいの席に乗り合わせた女に声をかける男。しかし、女は口を重く閉ざしたまま答えない。朗らかな男は声をかけ続け、女とその連れの女に駅弁を買ってきたことでようやくその女は重い口を開く。同じ駅で降りた男と女、男は夜まで体があくことになって、女について歩き始める。そして二人の距離は徐々に縮まって…
岸恵子が数年に1本映画に出演していた時期の作品のひとつ。作品としては非常に地味だが、競演の萩原健一も非常にいい演技をしていて、味わい深い。
日本海というのはそれだけで何か重苦しい印象を与える。列車の窓から海と浜辺の雪が見えると、それは冬の日本海、鉛色の空が重くのしかかり、なかなか晴れ晴れとした気分にはなれない。そんなオープニングの印象のままに、この映画は非常に重苦しい物語である。出来事としてはそれほど大きな出来事ではない。模範囚で母親の墓参りに行くことを許された女と、たまたま列車で向かい合わせに座った男。その2人が奇妙な縁で結びつき、旅先で惹かれあっていくというただそれだけの話である。
しかし、その女・蛍子の過去と囚人であるという秘密(観客には映画の序盤でその事実は推測できるようになっているが)が2人の関係に、冬の日本海の空のように重くのしかかることで劇性を生んでいる。そして、ぐっと押し黙り、遠くをキッと見据える岸恵子のキャラクターと、とにかく喋りまくり、動き回る萩原健一のキャラクターの対照性がこの映画の展開の軸となることで、映画に動きが生まれるということだ。
ただそれだけの映画なのだけれど、なぜだか面白い。それはこの映画がある意味で非常に「日本的」な映画であるからだと思う。それはこの映画が表面上では今書いたように非常に単純な構図の物語であるけれど、その裏にはもっと複雑なものがあるというもの。無表情で、あまり言葉も発しない岸恵子のその表情の裏にはどろどろとした感情の蠢きが存在するということ。
その表面的に表れない、隠された物語や感情の存在が非常に「日本的」なのだと思う。観客はその隠された物語や感情を感じ取って、それを自分の裡で反芻してみる。それは言葉で説明してみるとか、想像してみるとか、解釈してみるということではなく、ただ反芻することであるのだ。そのとき、映画の中にある隠されたものと自分の裡にあるものがどこかでリンクして、何かの感情がざわざわっと湧き上がってくる。
そのようにして感情がわきあがってくるときが非常に「日本映画的」な瞬間なのではないかと思う。明確な言葉によってではなく、予感や心のうずきや心のざわめきを観客の裡に呼び起こすことによって何かを表現する。そのような「日本的」なものがこの映画にはあふれている。
だから、そのようにして投げかけられる対象となっている心がその映画を受け止められるときにはすごく面白いと思えるはずだ。しかし、逆に言えば、登場人物のことがまったく理解できなかったり、見る人の気分がその映画の空気とあっていなかったりすると、単調で退屈なものと感じてられしまうということになる。 主役の2人がとてもうまく映画を運んでいっているので、その世界に入ることは比較的容易だ。しかし、そこに浸ることは必ずしも心地よいものとは言えない。そうなると、三国連太郎が何度も登場するが、実は違う役だったりするところが妙に引っかかったり、、岸恵子が劇中で35歳だというけれど、それはちょっと無理があるなと思ってしまったり、そんなことが気にかかって、ぐっと映画に心をつかまれるというところまでは行かない。そんな風になってしまう。
いい映画だとは思うけれど、なかなか難しい映画だと思う。