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猟銃

2004/4/8
1961年,日本,98分

監督
五所平之助
原作
井上靖
脚本
八住利雄
撮影
竹野治夫
音楽
芥川也寸志
出演
山本富士子
岡田茉莉子
佐分利信
馬淵晴子
佐田啓二
preview
 芦屋に住む多木彩子のところに、見知らぬ女性が尋ねてくる。その女性は娘を連れていて、その娘が彩子の夫である礼一郎の子であるという。その女性は娘を置いて立ち去り、直後に交通事故でなくなってしまった。彩子は夫と別れることを決めるが、その娘・薔子は家に置き、育てるように決めた。一方、彩子のいとこ・みどりは歳の離れた夫と趣味が合わず悩んでいることを彩子に相談する。そして、みどりのうちを訪ねた際に出会ったみどりの夫・穣介は彩子に心を寄せる。
 井上靖原作による女の物語。山本富士子と岡田茉莉子の女優の対決にしびれること請け合い。
review
 この映画は美しい。特に序盤ははっとするような美しさにあふれている。特に美しいのが山本富士子の着物で、着物自体に柄はあまりなく、落ち着いているのだが、帯には大きめの柄があしらわれていてはっとさせられる。この和装の美しさがまず山本富士子演じる彩子のキャラクターを作り上げているともいえるのだ。 そして、窓外の風景にも美しいものが多い。濃紺の薄闇の街並みや煙突から上がる紅の煙など、室内と対照的な風景がそこにあり、その対比の美しさがなんとも言えない。

 物語の方はたいした話ではない。簡単に言ってしまえば大人のメロドラマで、男と女の愛憎うごめく世界を描いたというだけのものだ。しかし、そのキャストが山本富士子・岡田茉莉子・佐分利信ということで、物語の単純さを越えたドラマがそこに生まれる。二人の女優の対決、すべてが対照的なキャラクターとして設定された二人が繰り広げる戦い。その戦いは間に男を介して入るが、決して男をめぐるものではない。男(佐分利信)とは女と女の対決を媒介するメディアという透明な存在に過ぎず、最終的に存在するのは二人の女だけなのである。
 ただただふたりは対照的な存在であり、仲はよいが、すべてのことについて対立しているということができる。しかし、それは憎しみあうとかそういうことではない。憎しみとか妬みや嫉妬といったわかりやすい構図はいっさい存在しない。 ふたりはそれぞれがそれぞれに何かを問題として抱え、それを吐き出せず、悩み、互いを少しは憎みながら、しかし互いを頼りながら、目に見えない火花を散らし続けているのだ。
 その対決によって映画は進行していくわけだが、果たして物語は進行して行っているのか? 実質的な主人公である山本富士子演じる彩子の人生は転がっていく。そこにみどりと礼一郎は深くかかわってくる。しかし、果たしてその彩子の人生を物語(主プロット)といっていいのだろうか? 彩子の影に押しやられたみどりの人生はサブプロットに過ぎないのだろうか?

 と考えていってみると、この映画には物語などないのかもしれない。ただ美しさと、対立がある。物語があるとすればそれは、二人の女がライバルの存在を通して自分を発見していくという物語。実際には何も変わらず、物語などまったく進行してはいないが、ただライバルの姿を鏡のようにして自分を見つめることで、自分を発見していく物語でしかないのではないか。それは、具体的な物理的な人生ではなく、自己イメージの物語だと言い換えることもできる。彩子が送る具体的な生活が問題なのではなく、彩子自身が自己イメージとして持っている自分の人生のイメージこそが重要なのだ。
 一見すると蛇足のように思えるラストの5分ほどを見ながら、そんなことを考える。これを彩子の人生の物語だと考えるなら、ラストの5分は蛇足以外のなにものでもないが、イメージが本当の主役なのだとしたら、必要な5分間ということになる。透明なメディアに過ぎない礼二郎が、メディアであるからこそ(イメージを図像化するものであるからこそ)重要になってくるのだ。
Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: 日本60~80年代

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