涙女
2004/4/14
哭泣的女人
2002年,カナダ=フランス=韓国,90分
- 監督
- リュウ・ビンジェン
- 脚本
- リュウ・ビンジェン
- ダン・イエ
- 撮影
- シイ・ウェイ
- 音楽
- ドン・リイチャン
- 出演
- リャオ・チン
- ウェイ・シンクン
グイは北京で違法なVCDを売るなどして何とか生活しているが、遊んでばかりの夫が暴力事件を起こしてつかまってしまい、商売のために預かっていた子供の家族が夜逃げと不幸が続いて郷里に帰る。そこで今は結婚している元の恋人ヨーミンとよりを戻し、そのヨーミンの提案でいやいやながら葬式で泣きながら踊りを見せる“哭き女”やることにする。
変わり行く現代中国で懸命に生きる一人の女を描いた悲喜劇。主演は京劇役者出身で本作が映画デビューとなるリャオ・チン。
中国独特のひとつの風習を紹介しつつ、一人の女性を描くという映画なわけだが、内容に興味はわいてもそのまなざしがなんともいただけない。“哭き女”という視点は面白く、変わり行く北京から基本的には変わらないがそれでも徐々に変化している田舎へと場所を移動し、変わらない風習を描くという構成もなかなか面白い。しかしどうしてもそれを見る目が興味本位というか、他人事でしかないように思えてしまう。面白いけれど、自分とは無関係な世界の話と見えてしまうのである。
なので「だから、何が言いたいの?」という映画になる。そして違和感というか、異物感とでもいうべき居心地の悪さがある。映画の前半でとにかく泣き叫ぶ子供の泣き声がいらだたしいし、それぞれの人の行動がどうにも腹立たしい。その行動というのはものすごく打算的で、とにかく自分に利益があればあとはどうでもいいという行動である。これは、映画が進むにつれて、これだけ割り切れるなら、それはそれでひとつのシステムとして成り立っているんだな、と納得はできるわけだけれど、映画の最初から、そのようななんとも同情しがたいというか、共感できない人たちしか登場しないことで、映画との間に決定的な断絶があるような気がしてしまう。
なので、まったく映画に気持ちが入らず、スクリーンに映っているもののすべてが他人事に見え、他人事としてみると、たいして面白い話でもない。ということで、映画も中盤を迎えて物語の大勢が見えてきてしまうと、すっかり飽きて退屈してしまう。
中国に独特な葬儀の風習を見ているのは、まあ楽しいわけだけれど、それだけのことなら、わざわざこんな作り物の映画ではなくてNHKのドキュメンタリーを見ていればいいわけで、どうにもこうにもという感じがしてしまう。
同じ東アジアの、元はといえばきっと同じ民族なのに、どうも中国の人たちに共感できることが少ないのはなぜだろう? と考えてみたりもして、広い意味での文化の違いであるというような気はするけれど、突き詰めていけば行くほどわからなくなっていく。資本主義化されている(に犯されている)度合いの違いかとも考えたが、中国が日本みたいに資本主義化されても、国民性というようなものは変わらないような気がする。
ので、何とも腑に落ちない気持ちを抱えたまま映画を見終わり、なんとも煮え切らない感想を書いてしまう。