ロスト・イン・トランスレーション
2004/4/16
Lost in Translation
2003年,アメリカ,102分
- 監督
- ソフィア・コッポラ
- 脚本
- ソフィア・コッポラ
- 撮影
- ランス・アコード
- 音楽
- ブライアン・レイツェル
- 出演
- ビル・マーレイ
- スカーレット・ヨハンソン
- ジョバンニ・リビシ
- アンナ・ファリス
- 林文浩
- マシュー南
ハリウッド・スターのボブ・ハリスは日本のウィスキー・メイカーのコマーシャル撮影のために来日した。言葉もわからない異国の地のホテルでボブは眠れない夜を過ごしていた。同じホテルにシャーロットと夫でカメラマンのジョンが泊まっていた。シャーロットは夫が仕事をしている間一人東京の街をさまようが、いたたまれない孤独感に襲われていた。そんな二人がある夜、ホテルのバーで出会う。
『ヴァージン・スーサイズ』で高い評価を得たソフィア・コッポラの監督第2作。外国人から見た東京をスタイリッシュに描き、人物の掘り下げ方にも非常に深みがあり、非常に味わい深い作品に仕上がっている。
冒険に踏み出す一歩手前でとどまる。日常にはそんな瞬間が転がっている。特に外国に行った場合などは、そのような気持ちになることがある。
映画は冒険を描いたり、日常を描いたりする。冒険を描けば、それはスペクタクルとして観客を楽しませるし、日常を描けば、それは自己の似像として、観客の自己同一化の対象となる。それが映画が観客を楽しませる典型的な手法であるのだと思う。
しかし、この映画はそんな冒険と日常の狭間を描く。日常から冒険へと踏み出す瞬間、その瞬間を描いている。それは異国で孤独感を感じている二人の人間、彼らにとってその異国での滞在は日常の延長でしかない。シャーロットは夫を待つという生活を続け、時には友達に電話をする。ボブは妻から送られてきたカーペットのサンプルを眺める。それは日常の延長でしかないと思えるのに、そこは異国であり、一歩踏み出せばそこには冒険がある。
そこにある冒険を眺めてみると、自分がいつもの生活の中でどのように感じているのかということを改めて外側から眺めることができる。そのとき冒険は輝いて見え、日常はくすんで見える。しかし日常にも引き止めてやまないものがあり、簡単には冒険への一歩を踏み出すことができない。
異国で、そんな気持ちを持ってしまった二人が出会ったとき、その二人の間には何か言葉にできない絆が生まれるかもしれない。
この映画に映る東京は、まさにわれわれが目にしている東京だという気がする。煌びやかで賑やかで愛想がいいけれど、実は冷たい。その孤独の中で人々はひとときの情愛や友情を求める。シャーロットが寺で朗々と唱えられるお経を聞いた感想を「何も感じなかった」というその言葉に、東京が象徴的に表されているような気がする。光や音や人や車やものがあふれているけれど、それらを本当には感じることができない都市、そんな印象が付きまとう。
それをストレンジャーの感覚で捉えたのがこの映画なのだが、住んでいたってそのように感じる。それはアメリカの大都市でも同じなのだろうか? にもかかわらず、そのような大都市が魅力的に見えるのは不思議なことだ。住むにしても、旅行するにしても、すごく魅力的なのだが、住んでみても、旅してみても、そこには常に孤独感が付きまとう。そんな大都市の不思議さをこの映画は見事に表現して見せたのだと思う。
カメラマンがすごくうまい。特に焦点のあわせ方がうまい。ガラスへの映り込みなんかも使ってすごく「いい」画を撮っていると思う。とくにタクシーのガラスに街の風景を映しこみ、乗っているボブやシャーロットにピントを送ったりしながら、街を走る。そのときサウンド・トラックとあいまってとても気持ちいい浮遊感を感じる。ただ画がいいというだけでなく、映画を効果的にするためにそれが使われている(というか、完全に映画のための画であるということが感じられる)というのがすごくよく、職人的なカメラマンといういい印象を得る。
そんなこんなで、映画の時間は飛ぶように過ぎ、心地よい観後感だけが残る。