賭博師の娘
2004/4/21
La Hija del Engano
1951年,メキシコ,80分
- 監督
- ルイス・ブニュエル
- 原作
- カルロス・アルコリサ
- 脚本
- ラクル・アルコリサ
- ルイス・アルコリサ
- 撮影
- ホセ・オルティス・ラモス
- 音楽
- マヌエル・エスペロン
- 出演
- フェルナンド・ソレル
- アリシア・カーロ
- ルーベン・ロホ
- フェルマンド・ソト
- ロベルト・マイヤー
貧乏だが正直でまじめな男キンティンは友人の世話で仕事を得て、列車で仕事先へ向かう。しかし土砂崩れで列車は引き返し、出発は翌朝まで延期になった。キンティンが家に帰ると、妻が仕事を世話してくれた友人と浮気をしていた。キンティンは激怒し、妻を追い出し、幼い娘を見知らぬ家の前に捨ててきてしまう…
物語のほうは原作モノだけにどうかと思うが、辛辣な内容の中にユーモアを混ぜ込むブニュエルのうまさが見える作品。
真面目一辺倒な男が妻の裏切りによって豹変する。ただそれだけなのだが、それを描く描き方がすごくうまい。冒頭のほんの数分のバカが着くほど正直者のキンティンと、カジノを経営し守銭奴のようなキンティン、この2人のキンティンをブニュエルは見事に描き分ける。根は正直者だというイメージを植え付けられた観客は、変わってしまった彼を見るにつけ、その心に負った傷の深さを痛いほどに感じる。
この映画はただただその心の痛みを感じるための映画なのだと思う。ドン・キンティンはひどい男であるが、それは過去の心の傷のためであり、しかし、それにしたってひどすぎると思う。でも、彼のふとした表情から、そのように人を信用せず、傍若無人に振舞っていることの苦悩が垣間見えたりする。
だから、この物語はそのまま悲劇的に、徹底的な悲劇として終わって欲しいと思う。そう思いながら映画を見ているけれど、どこかで幸せな結末が待っていて欲しいという気持ちもあるし、でも映画としては悲劇的なまま終わったほうが格好いいなどとも思う。しかし、結局ハッピーエンドになってしまうんじゃないかという予感もある。その予感は当たり、ハッピーエンドになってしまうのだけれど、その結末は何ともとってつけたものでしかないように感じられてしまう。しかたなしのハッピーエンド、観客が打ちひしがれて帰らなくてすむためのサービスのためのハッピーエンドであると。
この映画の本当のクライマックスは、そのハッピーエンドの直前にある。もうとにかく徹底的に打ちひしがれたキンティンの後姿、それを淡々とカットを細かく割りながらもロングでとり続けるカメラ。そのシーンの切なさは本当にすばらしいと思う。
つまり、プロットの展開に釈然としないところはあるものの、そこで描かれているものの質はすばらしいということ。プロットのほうはブニュエルの失敗なのか、それとも原作ままに描いたことゆえの仕方なさなのか。
どのような条件で撮られたのかがわからないので何ともいえないが、映画を観る側にそんな条件は関係ないわけで、純粋に今この映画を見れば、さすがのブニュエルの力を納得できる。だから、結末はおいておいて、その切なさにどっぷりと浸るのがいい。