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小間使の日記

2004/4/26
Le Journal D'Une Femme de Chambre
1963年,フランス=イタリア,98分

監督
ルイス・ブニュエル
原作
オクターヴ・ミルボー
脚本
ルイス・ブニュエル
ジャン=クロード・カリエール
撮影
ロジェ・フルレー
出演
ジャンヌ・モロー
ミシェル・ピコリ
ジョルジュ・ジェレ
フランソワーズ・リュガーニュ
preview
 パリから田舎の屋敷に小間使いとしてやってきたセレスティーヌ。その家では旦那は使用人に次々と手を出し、夫人は小うるさい潔癖症、紳士だという噂の大旦那はセレスティーヌにコレクションの服を履かせるフェチ振りを発揮する。そんな中で大旦那が急死し、同じ日に家に出入りしていた少女クレールも森で殺されてしまう…
 メキシコからフランスに戻ったブニュエルの第一作はメキシコ時代より少し上品になった感じがする。脚本のカリエール、主演のジャンヌ・モローとフランス時代に数多く仕事をすることになる面々との初顔合わせでもある。
review
 フランスに戻り、ジャンヌ・モローを主演に迎えて、おフランスな感じが漂いつつも、ブニュエルは相変わらずブニュエルである。シニカルな笑いと不条理な展開をちりばめながら、不思議な物語を展開するのだ。
 とはいえ、この映画の物語はかなりまとまっている。これはミルボーの原作がしっかりしていて、その上かなり原作に忠実に作ったからだろう。そのおかげでメキシコ時代の最大の特徴ともいえる不条理さは薄れ、ちょっと毛色の変わったサスペンスドラマとしてみることができるくらいになった。
 その分ブニュエルが力を入れるのは皮肉たっぷりの社会批判である。映画の全体に漂う厭世観は、この映画の時代設定が第二次大戦の直前あたりになっているからだろう(ジョセフが参加している運動は明らかにナチスに肩入れした反ユダヤ主義運動である)。メキシコではブルジョワジーをその批判の対象としたが、フランスに帰ってまずファシズムをその対象としたということだ。
 この映画が作られた時代を考えるとこのファシズム批判というのはかなり受け入れられやすいものだったろう。ファシストがファシストらしい行動をする。口ではえらそうなことを言っていてもファシストは結局ファシストでしかないと。しかし、同時にそんなファシストたちが当時の段階ではまだ鋭く批判されていたわけではなく、ひとつの思想(それもある種の抵抗思想)として捉えられていたということもなんとなくほのめかされている。このあたりのバランス感覚はブニュエルの非常にうまい点だとも思う。
 というわけで、この映画は物語としては非常にわかりやすいものになっている。主人公もしっかりとしていて、観客はその主人公の立場にすっと入っていけるし、善悪がわりとはっきりとしているので、物語の理解に混乱することはないのだ。

 しかし、ブニュエルがやはりブニュエルなのは、その周辺に見えてくる。この映画が基本的にフェティシズムの映画であり、それはブニュエルがずっと描き続けてきた人間の精神の問題であるからだ。ブニュエルは一貫して「狂気」を映画の題材にしている。その「狂気」とは人間の精神がバランスを崩すというか、人間が本来持っている精神の不安定な部分が局限化されたものなのではないかと思う。だから、「狂気」と呼べるものまで行かなくとも、精神のバランスが崩れた状態というのが映画には頻出するわけだ。そしてこの映画ではそれがフェティシズムに現れ、そのほかの偏執的な精神のあり方にも現れる。靴フェチ、小児性愛、潔癖症、色情狂などなど。
 それらがブニュエルらしさであり、そこからはシニカルな笑いも生まれる。この笑いもまたブニュエルらしさである。

 そして、ジャンヌ・モローがいい。映画中では32歳といっているが、実年齢は35歳、時にその年齢が顔に表れることがあったり、しかし時に非常にキュートに映ったり。で、それがすごく魅力的で、美人という設定にも納得。フランスに帰ってブニュエルはブニュエルらしさを発揮し続けつつ、より洗練された役者たちや映像を獲得して、また別の魅力を見せるようになった。この映画はその出発点であるのだと思う。
Database参照
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国別・年順: フランス

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