グラン・カジノ
2004/4/29
Gran Casino
1946年,メキシコ,85分
- 監督
- ルイス・ブニュエル
- 原作
- ミシェル・ヴェベール
- 脚本
- マウリシオ・マグダレーノ
- エドムンド・バエス
- 撮影
- ジャック・ドレバー
- 音楽
- マヌアル・エスベロン
- 出演
- リベルタ・ラマケル
- ホルヘ・ネグレーテ
- メルセデス・バルバ
- ホセ・バビエラ
喧嘩で留置所に入れられた男が仲間とともに脱獄する。そして流れ流れて、とあるカジノへ。そこですられそうになっていた一人の男を救い、その男が働く油井に働き口を見つける。しかしその油井のボスは手を引くよう圧力をかけられており、ついにはカジノで失踪してしまう。しかし、その翌日にはボスの妹が来ることになっており…
ブニュエルの戦後第1作にして、初の商業作品。全編に歌をちりばめて娯楽色を強く打ち出したのは、雇い主の意向によるものか。当たり前の娯楽映画の隙間にブニュエルの企みが垣間見える作品。
ブニュエルはやはり『アンダルシアの犬』の印象が強く、さらに晩年のフランス時代のメジャーな作品でもどこか不条理な感じを漂わせているから、どれをとっても不思議な不条理な作品なのではないかと思わせる。しかしメキシコ時代にはこの作品のような娯楽作品もとっている。それはおそらく食べるための作品、撮影所の意向にある程度したがって大衆に受け入れられる作品を撮ったということだろう。
なので、この時代、そして日本で見ると、基本的にはそれほど面白くない。確かに歌なんかを聴いていると、うまいなぁと思うし、それほど耳慣れない歌のジャンルに興味を持ったりするけれど、映画のプロットや映像のつくりなどを見ていると、すごく当たり前で特別目を見張るものはない。
なので、漫然と見ていると、ただただ普通の映画であるのだが、ブニュエルもそのあたりは気づいていただろうし、それを気づいた上でしかし、普通の映画を撮っていた。それは映画監督としては当たり前のことだと思う。しかし、それだけではつまらないので、まあいろいろと隙間隙間に面白いことを入れようとする。
この映画で言えば、脇のキャラクターにブニュエルらしいクスグリを感じる。私が一番面白いと思ったのは踊り子のさえない子(名前は忘れてしまった)。子というのもおこがましいようなやや年増の踊り子なわけだが、その微妙な立ち位置と、男たちとの関係がなかなかいい。
それは、まったく物語とは関係のないプロットとして機能する部分に日常的な風景を織り込む作業であり、逆に言えばそれ以外の部分が当たり前に作り物であることを浮き彫りにするものである。
このような娯楽映画はもちろんフィクションであり、そしてフィクションであるからこそ面白い。無理のある展開も、不自然に歌ばかり歌う主人公たちも、それが作り物じみているから面白いのだ。
ブニュエルの映画の不条理さというのもまた、ある意味では非常に作り物じみている。「シュールレアリスム」なんていうと聞こえはいいが、それはつまり作り物の積み重ねによって、ものすごく非現実的なものを作り、それが逆説的に非常に現実的であるということになるということなのではないかと思う。つまり、乱暴に言ってしまえばブニュエルの本質とは、それが「作り物」であるということなのかもしれないと思う。
などと余計なことを考えてしまうほどにこの映画は退屈なわけだけれど、その退屈さを味わいながら、余計なことを考えてみるのもまた楽しい。
かも知れない。