カルメン故郷に帰る
2004/5/31
1951年,日本,86分
- 監督
- 木下恵介
- 脚本
- 木下恵介
- 撮影
- 楠田浩之
- 音楽
- 木下忠司
- 出演
- 高峰秀子
- 小林トシ子
- 坂本武
- 佐野周二
- 小沢栄
- 笠置衆
- 井川邦子
- 磯野秋雄
- 佐田啓二
浅間山のふもとの小さな村、その村から家出して東京に行ったおきんが帰ってくると手紙をよこした。おきんは東京で踊り子をしているが、おきんはそれを芸術だといい、自分を東京でも有名な舞踏家だといっていた。手紙をもらった姉は小学校の校長に父親を説得してもらい、父親に帰ってくることを認めさせ、リリイ・カルメンことおきんが村に帰ってくる…
国産初の総天然色カラー映画は高峰秀子主演の明るいコメディ映画になった。こんな映画を画期的なカラー映画の1作目にするというのは何か余裕があってとてもいい気がする。
高峰秀子といえば、子役のころからスターで、順調にスターへと育ち、名女優となったという印象がある。が、子役出身だけあって大人の役者へと脱皮するのはなかなか難しいかったのかもしれない。しかし、この作品は27歳のときのもので、もう完全に「大人の女優」の演技である。この2年前の『銀座カンカン娘』、前年の『宗方姉妹』『細雪』あたりから、高峰秀子は完全に名女優の列に加えられ、この国産初の総天然色カラー映画の主役に納まったのだろう。
この映画はそんな高峰秀子の映画である。高峰秀子は意外に歌もうまくて芸達者、こんな景色が日本にもあったのかといいたくなるような田舎に颯爽と降り立つ派手な衣装にカラー映画の特性が生きている。タイトルクレジットに「衣装提供 高島屋」と出るのも、カラー映画のさまざまな可能性を探っているようで面白いが、ともかく田舎の風景に衣装が映えるように、映画の中に高峰秀子が映える。田舎の人たちととにかく対照的な衣装、そして仕草、体の動かし方の違い、そんなものが高峰秀子を際立たせているように思える。 対照的な意味で際立っているのは笠置衆である。笠智衆は際立っているというよりは浮いて見える。村唯一の知識人という自負からかモダンな行動をしようとしているのだけれど、田舎くささが抜けないという感じ。それが、笠智衆の棒読み調のセリフと見事にあって、なんともいえないとぼけた感じを出していていい。
そして役柄的な部分を考えると、高峰秀子演じるおきんは、多くを語らないが踊り子という仕事を誇りに思っているように見える。端から見れば「踊り子なんかしてはずかしい」とか、「おちぶれた」と見えるのだろうが、おきんはまったく恥じる様子はなく、本心からこの仕事を芸術と思っているかのように見える。映画中で言われるように「少し頭が足りない」というのもその理由付けになっているのだろうけれど(少々短絡的という気もしなくはないが)、とにかくその屈託のなさが、この映画に完全な明るさを生み、面白い映画に仕上がっているというわけなのだ。
都会と田舎の違い、時代の変化などといってテーマも浮かび上がってきそうな題材だが、そんなものにスポットを当てる様子はまったくなく、高峰秀子のキュートな演技と、笠智衆のとぼけた演技(素なんじゃないかと思わせるほどにすばらしいおとぼけ度である)で観客を楽しませる。国産カラーとはいかなるものかと注目しているであろう観客にとにかく楽しさだけを提供し、カラーに余計な価値観を付け加えなかった。これは実は非常に意義深いことなのかもしれない。
もうひとつ気になったのは、やたらと馬が出てくること。光子が引く馬もそうだが、おきんの父親が飼っている馬が放し飼いにされていて、それがとにかくやたらと出てくる。その馬たちは物語の上で特に何かの役割を負っているわけではなく、ただ画面を通過するのだ。これは何かの隠喩なのかと勘ぐってしまうが、いったい何の隠喩なのかは見当もつかない。ただカラー画面のリアルさを伝えるための賑やかしなのかもしれないとも思う。