かくも長き不在
2004/6/1
Une Aussi Longue Absence
1960年,フランス,98分
- 監督
- アンリ・コルピ
- 脚本
- マルグリット・デュラス
- 撮影
- マルセル・ウェイス
- 音楽
- ジョルジュ・ドリュー
- 出演
- アリダ・ヴァリ
- ジョルジュ・ウィルソン
- ジャック・アンダン
- シャルル・ブラヴェット
パリのはずれでカフェを営む女店主のテレーズ、今年もバカンスの季節を迎えようというころ、毎日店の前を歌を歌いながら通り過ぎる浮浪者が現れる。彼のことが気になるテレーズは店の娘に彼を招き入れさせ、話をさせる。そこで彼が記憶喪失であることを知ったテレーズは、彼が行くへ不明の夫なのではないかと思い始める…
スイス人監督アンリ・コルピが静かに淡々と、一人の女が抱き続ける愛を描いた作品。カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞。
非常に静謐な映画である。1960年といえば、フランスではヌーベル・バーグ真っ只中で、この映画も手持ちカメラを多用してはいるが、そのことによって何かを主張するというわけではない。
この映画が語る内容は実はすごく深い。テレーズの夫がいなくなったのは、第二次大戦中。ナチに逮捕され、拷問されたということが語られる。戦争が終わり、15年がたつがまだその戦争の陰が人々の心に付きまとっている。そして、映画の序盤でアルジェリアについて言及されるように、アルジェリアではまさにフランスからの独立が問題となり、内戦が起こっていた。戦争は過去のものではなく、確実に現在のものであったのである。直接的に戦争について語られるわけではないが、この映画にはずっと戦争が重い背景として横たわっているのだ。ただただ静謐で、退屈ですらあるテレーズが浮浪者の朝の儀式を見つめる場面も、その重苦しさを見るにつけ、戦争に思いをはせないわけには行かない。テレーズもその浮浪者の姿を見ながら、夫が戦争中にどのような体験をしてきたのかということに思いをはせていたことだろう。戦争は人を不幸にする。そんな単純な事実がまず語られているのだ。
しかしもちろん、この映画は戦争映画/反戦映画であるわけではない。戦争によって悲劇を背負ってしまった一人の女の愛の物語である。行方不明通知という1枚の紙切れだけで孤独の淵に沈められてしまった女、カフェを守り、時には男と関係を持ちながらもずっと夫のことを考え続けてきた日々。その日々の重さが一人の浮浪者と夫の姿を重ね合わせる。
そしてその疑念が確信に変わるのだが、それでも女は感情を抑え、男にぶつかっては行かない。自分の気持ちをぶつけて男を困惑させることは避け、ただただやさしく接するのだ。
このことからはいろいろなことが考えられる。テレーズはその男を夫だと思い、そのように接する。そのように接することができるなら、それが夫であろうとなかろうと実は関係ないのかもしれない。もちろん本人であったほうがいいのだが、本人であろうとなかろうと、昔どおりの愛情を男が抱くことはない。したがってテレーズが抱く気持ちは一方的なものでしかありえないのだ。新たな関係を築くことはできるかもしれないが、それによってテレーズの気持ちが満たされることは決してない。
つまりテレーズにとっては一方的な気持ちをぶつける先があればいいわけであり、それならば自分自身が相手が夫であると確信できていれば、それが事実であろうとなかろうと関係ないのかもしれない。
そんなことを考えながらずっと映画を見る。「愛とはいったい何なのか」と言ってしまうと大げさだが、愛とはいったい何なのか、人は人の何を愛するのか、そんな疑問がぼんやりと頭に浮かぶのだ。