テッセラクト
2004/6/18
The Tesseract
2003年,タイ=イギリス=日本,96分
- 監督
- オキサイド・パン
- 原作
- アレックス・ガーランド
- 脚本
- オキサイド・パン
- パトリック・ニーテ
- 撮影
- デーチャ・シーマンタ
- 音楽
- ZAN SAB
- 出演
- ジョナサン・リース・マイヤーズ
- サスキア・リーヴス
- アレクサンダー・レンデル
- カルロ・ナンニ
- レナ・クリステンセン
タイ、バンコク、5時47分、とあるホテル。イギリスジーンのショーンは白昼夢で壁から現れて男に銃撃される。もちろんそれは夢で、銃撃の跡などない。そのホテルで働く少年ウィットは部屋に忍び込んでは客のものを盗んで故買屋に売っていた。さらに殺し屋の女リタ、心理学者のローザ、彼らのいるホテルで事件はおきる。
テッセラクト(四次元立方体)というなぞめいたタイトルは、映画化不可能とされたアレックス・ガーランドの原作のタイトルである。異なる時間と空間で展開される複数の物語をひとつの展開図としてみる、そのような試みがなされている。
原作は、読者だけがいわゆる神の視点から事件の全貌を見渡すことができるという展開のされ方で、その複雑さが面白みを生み、だからこそ映画化は不可能といわれたらしい(読んでいないからわかりませんが)。
とすると、結論から言ってしまうなら、やはり映画化は不可能だったと思う。この映画は、始まりこそそんなテッセラクト/四次元的な映像を見せるけれど、それが白昼夢として片付けられてしまったことによって、映像としての四次元性を実現する可能性は摘まれてしまった。その結果、複数の登場人物がそれぞれの視点から積み上げた物語を個別に眺めることによってひとつの大きな物語が出来上がるという、特に新しさのない映画になってしまったのだと思う。
ひとつの物語が複数の物語が折り合わさってできたものであるというのは当然のことであり、それだけをとって大上段から「テッセラクト」などと名づけるのはなんとも大げさな話である。いかにも「複雑ですよ」という顔をしながら、ちっとも複雑ではない話を見せられると、なんとも拍子抜けなのである。
つまり、原作に固執して、「テッセラクト」なんてものを前面に押し出してしまったことによってこの映画の面白さはそがれてしまっているのだ。
そんな大上段の宣言がなければ、この映画はそれなりに面白い映画だと思う。ヤクの売人、殺し屋、マフィア、少年、心理学者、そんな立場の違う人たちがホテルというひとつの場所で衝突し、ひとつ(あるいはいくつかの)事件が生まれる。それは複数の糸がより合わさったそれなりに複雑な物語である。その物語は面白い。彼らの関係性の変化も面白い。ただ、映画の展開の仕方として、同じ事柄を異なる視点から繰り返し見るという構造が何度か出てくるのが今ひとつのような気がする。視点を変えることによって新しい発見があればいいが、既知の出来事をただ繰り返すだけでは意味がない。この作品では後者に当てはまってしまう場合がたびたびある。それによってどうも映画が停滞し、サスペンス映画には非常に重要なスピード感というものがそがれてしまっているような気がする。
製作者側の意図としては、わかりやすくしようということだろうが、それはこの映画が見る前に与えるイメージと相反するし、わかりやすいサスペンスなんてものは能天気な娯楽以上のものにはなりえないものなのだ。この映画の雰囲気からすると、意図されているのはそんな能天気な娯楽ではないようなので、そのあたりにも違和感を感じる。
どうもこのパン兄弟の作品は物語というかプロットの深みに欠けるような気がする。発想も映像の作り方も面白いのに、それを動かすダイナモとなるはずの肝心のプロットが空回りしてしまっては、なんとももったいない。