21グラム
2004/7/2
21 Grams
2003年,アメリカ,124分
- 監督
- アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
- 脚本
- ギジェルモ・アリアガ
- 撮影
- ロドリゴ・プリエト
- フォルトゥナート・プロコッピオ
- 音楽
- グスターボ・サンタオラヤ
- 出演
- ショーン・ペン
- ベニチオ・デル・トロ
- ナオミ・ワッツ
- シャルロット・ゲンズブール
- メリッサ・レオ
心臓の病で余命一ヶ月のポール、その妻は人工授精で彼の子供を作ろうと考える。信仰によって救われたと信じる前科者のジャック、そして2人の娘と暮らすクリスティーナ。
映画は健康そうなジャックとクリスティーナが一緒にいる場面から始まり、時間軸を様々にジャンプして、この3人の係わり合いを描いていく。
『アモーレス・ペロス』のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが舞台をアメリカに移して、再び交錯する3つの人生を描く。『アモーレス・ペロス』の衝撃的な暴力性は影を潜め、淡々と「人生」について考える。そんな作品。
映画の冒頭から複数の時間が短いシーンで重なっていく。とくにポールとクリスティーナ、ポールとメアリーという二組のカップルが登場すること、さらにポールが健康そうなとき、瀕死の状態で病院のベッドに寝ているとき、自宅のベッドで療養しているときと3つの状態にあることが時間軸の存在は感じさせるが、その順番ははっきりしないという状態に観客を持っていく。 このやり方自体は観客を映画に引き込むという意味では非常にうまいやり方だ。ジグソーパズルのように、パーツ同士を組み合わせるという遊びに観客は引き込まれ、そこから自然に映画の内容へと引き込まれていくのだ。
そして、そこでは人生の機微が非常にうまく描かれている。とくに、ベニチオ・デル・トロが演じるジャックのパートが秀逸だ。これまでいわゆるチンピラの生活をしてきて、宗教によって改心し、若者にも説教するようになったジャックは、しかし前科者であるということ、刺青をしていることなどで完全には社会に受け入れられない。宗教とはそんなはみ出し物を救い上げるものとして機能しているのだが、その宗教がなかなか胡散臭い。それでもジャックはその宗教を妄信し、家族までもないがしろにしかねない。全てを神との関係で考え、それは徐々にゆがんでいく。
『アモーレス・ペロス』もそうだったが、この作品も全体が面白いというよりは部分が面白い。『アモーレス・ペロス』では1つ目の断章、この映画ではこのジャックが登場する部分だ。ジャックの物語だけを整理してたどってみると、それは非常に深みが有り面白い。映画としては中心となり、主役となるのはポール=ショーン・ペンなわけだが、私はどうもこのジャックのほうに興味の中心をおいてしまった。
それはそれで面白い見方ができるわけだが、映画としてはそのような広い見方を受け入れるようには作られていない。ポールという主人公の視線がどうしても中心になって、それ以外の視線は脇に押しやられる。もちろん視点=語り手は必ずしもポールではないが、物語の組み立てがポール中心になっているのだ。
そのあたりで私はなかなか映画にのっていくことができなかった。『アモーレス・ペロス』のように、3つの物語を別々に、基本的には時間軸に沿って描いていけば、もっと面白く観られたと思うが、それはこの映画のコンセプトからはずれてしまうことになるのだろう。
すっとポールの立場に入ることができればこの映画は面白い。あるいはそれはクリスティーナでもいいのかもしれない。そうすれば「21グラム」という言葉の意味ももっとよく感じ取れるのかもしれないと思った。
でも、やっぱりこの映画で魅力的なのは、ベニチオ・デル・トロとシャルロット・ゲンズブールだと思います。