宇宙戦艦ヤマト
2004/8/2
1977年,日本,130分
- 監督
- 舛田利雄
- 原作
- 松本零士
- 脚本
- 藤川桂介
- 山本暎一
- 田村丸
- 作画
- 芦田豊雄
- 小泉謙三
- 白土武
- 泉口薫
- 音楽
- 宮川泰
- 出演
- 納谷悟朗
- 富山敬
- 麻上洋子
- 伊武雅之
- 神谷明
- 青野武
- 中村秀生
西暦2199年、地球はガミラス帝国の遊星爆弾による攻撃によって海は蒸発し、地上は放射線に犯されて生命は絶滅、人類は地下でかろうじて生命をつなぎとどめていた。その人類の滅亡もあと1年ほどとなったころ、地球をパトロール中の古代進と島大介がイスカンダル星からの使者を発見。使者は死亡してしまうが、そのカプセルから放射能除去装置を提供するというメッセージと宇宙船を高速で運転する“波動エンジン”の設計図が見つかった。その設計図を基に作られた宇宙戦艦ヤマトがはるかイスカンダルへの旅に向う…
松本零士の原作で大ヒットしたTVアニメ・シリーズの映画化。TVシリーズのダイジェストとなっており、物語をかいつまんでみることができる。
この劇場版にはいい面と悪い面がある。いい面はといえば、まずはもちろん、2時間半というヤマトの世界を体験できるということだ。オリジナルのTVシリーズでは全26話、12時間を超える物語だから、およそ5分の1に圧縮されたということになる。そしてその圧縮の仕方は見事であり、TVで使われた映像をそのまま利用しているにもかかわらず、オリジナルといってもそれほど遜色のない仕上がりになっている。
そして、圧縮したことによってその感動も濃密になるという利点もある。物語を捉えるのが用意であるため、終盤にやってくる感動が強く感じられる。もちろん、12時間の物語を見ても、感動は感じられるわけだけれど、物語のはじめから一気に見るわけではないので、体験としては分節化された物語ということになってしまい、やはり感動が薄れたしまうことも多い。
しかし、感動というのはそう簡単に強さではかれるものではないことも確かだ。TV版と劇場版の最も大きな違いは、個人への焦点の当て方の違いだと思う。この映画は見事に2時間に濃縮されているわけだけれど、その見事さというのは物語という点においてであって、ヤマトをめぐる物語として見事に2時間半ほどのドラマになっているということだ。つまり、この映画はヤマト自体が主役であり、その乗組員たちは古代も、島も、沖田艦長も、雪も等しくヤマトの構成員でしかない。それはつまり、物語にとっては歯車に過ぎず、主役はあくまでもヤマトなのだ。
これに対してTV版では主役はあくまで古代だ。そして、その古代を中心として、沖田艦長、島、雪、との人間関係がそのプロットに大きな影響を持つ。ここではヤマトは大きな物語の主人公ではあるが、全体としてみれば登場人物たちを載せる物語の箱に過ぎない。劇場版で齟齬を感じるのは、その登場人物たちの関係性が絡んでくるエピソードである。特に古代と雪の関係が、映画でも1つのプロットとして使われているにもかかわらず、その過程は全く描かれていないのだ。
そして、劇場版ではすっかり脇役の一人に退いてしまった島の影の薄さもTV版や原作のファンには残念なところである。島はオリジナルでは、もう一人の主人公とも言える存在感があり、古代とよき友人でありなおかつライバルであるという関係性が、物語を駆動する大きな要素になっているのだ。この部分は劇場版ではばっさりと切られていて、映画だけを見る限りでは特に齟齬は感じないのだが、オリジナルを知っていれば、やはりさみしい。
もちろん、映画で初めてヤマトを見る人も、TV版を見ていた人も、どちらも満足させる作品を作るというのは非常に難しい。この作品はTV版のダイジェストとしては非常に優秀なもので、この作品でヤマトを始めてみるという人をひきつけるに十分だと思う。そして、かすかに登場する齟齬(例えば、雪がいきなり怪我をしているとか)が、逆にオリジナル版への興味を呼び起こすということもあるかもしれないという意味でも、「いい作品」なのかも知れない。
TVシリーズ3作(『YAMATO 2520』を含めれば4作)、映画版で全5作のヤマトの世界への入り口としてはとても優れた作品なのではないだろうか。
と、何ともヤマトマニアのような文章になってしまったが、この作品を純粋に一本の映画としてみたときに、引っかかってくるのは、この物語が第2次世界大戦を強く意識した物語だということだ。戦艦大和を改造するという発想もそうだし、ガミラスの指導者がデスラー“総統”であり、すべてがナチス・ドイツを意識させるというのもそうだ。その「大和」がガミラスに戦いを挑むというのが、松本零士なりの第二次世界大戦への反省と考えるのは考えすぎだろうか。ナチス・ドイツに加担してしまった戦争への反省、戦ってしまったことへの反省。物語の終盤、1つのクライマックスにはかれる古代の「必要だったのは戦うことではなく愛することだった」というセリフにその気持ちが込められている気がする。SFという形をとりながら、過去を振り返り、反省することを忘れない。その姿勢が松本零士を日本を代表するSF作家とした理由なのではないかと思う。