フォーン・ブース
2004/8/12
Phone Booth
2002年,アメリカ,81分
- 監督
- ジョエル・シューマカー
- 脚本
- ラリー・コーエン
- 撮影
- マシュー・リバティーク
- 音楽
- ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
- 出演
- コリン・ファレル
- フォレスト・ウィテカー
- ラダ・ミッチェル
- ケイティ・ホームズ
- キファー・サザーランド
広告屋のスチュはアシスタントを従え、クライアントや雑誌社に電話をかけていた。その後、1台の電話ボックスに入ると、結婚指輪をはずして、女性に電話する。しかしデートを取り付けることは出来ず、電話を切ったとき、そのボックスに電話がかかってくる。思わず電話をとったスチュは、突然に「電話を切ったら殺す」と脅される…
佳作サスペンスをとるジョエル・シューマカーのこれまた佳作のサスペンス。アイデアとスピード感はなかなかだが、決定的に何かが足りない。
電話を切ったら殺すと見知らぬ男に脅されるというアイデアは面白い。電話というプライベートな回線によって、話が展開されることで、その話している当事者と周りとの認識にギャップが生まれ、そこで誤解が生まれて、主人公がどんどん窮地に陥っていく。その八方塞がりの状況をどう打開していくのか、これはなかなか面白いドラマになりそうだ、という予感を映画の序盤で提示する。
そして、序盤はかなり面白い展開していく、娼婦たちが電話ボックスを使わせろとわめきたてて、彼を殺そうとするなどというエピソードはちょっとやりすぎという気もするが、それによって主人公の置かれた状況がどんどん悪くなっていくのだから不可欠な要素だったのだろう。
そのあたりまでは面白いのだが、中盤になっても犯人の側の動機づけが今ひとつはっきりしないところで、どんどん話がダウンして行ってしまう。ひとつの方法として、理由のわからないまま何かの事態に巻き込まれてどんどん窮地に陥っていくというサスペンスの方法はある。しかし、この作品の場合、主人公は犯人のそもそも狙われているのであって、何かに巻き込まれたというわけではない。
それならば、別の明確な動機がどこかで明らかにならないと、サスペンスとしての面白みは生まれてこない。わけがわからなかったものが徐々にわかってくる。主人公が原因を思い当たり、それがまたひとつのドラマを展開していく。そのようになったら、どんどん面白くなっていくのだが、この作品では主人公は最後までわけがわからないままなのだ。犯人はただの変質的な狂信者で、ただ行き当たりばったりに自分の思い込みによって生贄を選んでいるようにしか見えないのだ。
これではまったく犯人像が見えてこず、犯人探しというサスペンスを楽しむことが出来ない。電話の会話とその周辺の情報から犯人の居場所を探るという犯人探しは、映画と隔絶した世界にいるわれわれにとってはまったく参加できない犯人探しでしかない。
そのような展開にするならば、はじめからフォレスト・ウィテカー演じる警部を主人公にするべきだったのではないか。どうしても電話を切ろうとしない謎の殺人容疑者、その異常な事態の真相を解明すべく様々な情報を集め、容疑者から話を聞き、事件を解決に導く。そのような展開ならば、それはそれで面白くなったはずだ。
観客の視点をスチュに置くならば、スチュにわけのわかるかたちで犯人が判明しなければ、納得がいかない。それがサスペンスというものなのではないか。
この映画は、電話ボックスという設定の面白さの上に胡坐を描いて、展開を練りに練っていかなかったがゆえに平凡な作品になってしまった。そのアイデアを生かすにはどうすればいいのか、よく考えたなら、あんなわけのわからない子画面を使った映像は作らないだろう。観客に与えられている視点はいったい誰の視点なのか、そのことを明らかにしなければ、どんなふうに謎を解いてみても、そこに説得力はない。