ぼくの妻はシャルロット・ゲンズブール
2004/8/15
Ma Femme est une Actrice
2001年,フランス,95分
- 監督
- イヴァン・アタル
- 脚本
- イヴァン・アタル
- 撮影
- レミ・シェブラン
- 音楽
- ブラッド・メルドー
- 出演
- シャルロット・ゲンズブール
- イヴァン・アタル
- テレンス・スタンプ
- ノエミ・ルボフスキー
- リュディヴィーヌ・サニエ
パリに住むスポーツ記者の妻は女優のシャルロット・ゲンズブール。今日も姉夫婦と食事をしていると次から次にサインをせがまれ、落ち着かない。そして今度はシャルロットが新作の撮影でロンドンに、さらに共演相手が色男と聞いてさらに落ち着かない。イヴァンは週末を利用しロンドンへと向かうが…
実際にシャルロット・ゲンズブールの夫であるイヴァン・アタルが脚本・監督・出演したラブ・コメディ。話はもちろん創作だが、本音が垣間見えて面白い。
もっとドキュメンタリー的なつくりなのかと思ったら、完全にフィクショナルな物語だった。もちろん下敷きにあるのは彼らの私生活なのだろうけれど、この映画に表れるているのは作り物の生活である。
それでも、どうしても私生活が映画に入り込んでしまうことは否めない。ある意味この映画は普段の鬱憤を晴らすための映画というか、普段、不満に思っていたり、疑問に思っていたことを映画という形を借りてシャルロットにぶつけているということなのかもしれない。それはシャルロットが「帰って寝るわ」と行って朝の街を歩くシーンに凝縮されていると思う。
しかし、実際のところはそれを演じたのがシャルロット本人なわけで、撮影の時点でそこには了解が有り、やり取りがあったはずである。と、なると、実はこのふたりは実に仲むつまじく、この映画はあくまでも作り物。想像上の話でしかないのかもしれないという気もしてくる。
となると、いったいどうなるのか。この映画はいったい何なのか。ただの嫉妬男のたわごとか、それとも120分の1の幸運に恵まれた男の苦悩に見せかけた自慢なのか。
などと考えていると、まったくどうでもよくなってくる。たとえ知り合いに女優の夫がいたとしても、興味本位の質問をふたつみっつぶつけるぐらいで、その人が何を考えているのかなんてことに本当は興味がない。結局観客の立場というのは、カフェでであった姉の知り合いの男のようなものでしかないのだ。
だから、この映画は結局そのちょっとした興味にひとつの答えを提示するものでしかない。そしてそこに見えてくるのは、夫が嫉妬深すぎるという、妻が女優であることとはまったく関係のない事実だけだ。
監督としては当たり前の夫婦と同じ問題がそこにあるとでもいいたかったのかもしれないが、その問題の原因はあくまでも夫の嫉妬だ。となると、そこから先には進まない。シャルロットが言うように「病的に嫉妬深い男」の物語でしかなくなってしまう。そんな男の物語は別に見たくない。
そんな嫉妬深い男を演じているにもかかわらず、映画にシャルロットのヌードを使うというのはどういうことか。映画がフィクションでしかないこと、俺はそんな男じゃないよということをわざわざ説明しているのか、それともみんなに見て欲しいのか。
さらりと見ると、なんとなしの興味を満たしてくれて、フランス映画らしいユーモアもあって、そこそこ面白いけれど、それ以上ではない。実際に女優の夫だったら、共感を持ってみることが出来るのかもしれないと考えてみるけれど、実際のところ本当に女優の夫だったらこんなことは考えないはずだ。これはあくまでも一般人が女優の夫に対して抱くイメージの具現化であるのだと思う。だから、いっそう、どうでもいい。